著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
雑誌
女性学評論 = Women's Studies Forum
巻号頁・発行日
no.34, pp.43-62, 2020-03-20

本稿は、朝鮮総督府の機関紙『京城日報』の調査によって、永井郁子(1893〜1983)の6度に及ぶ朝鮮楽旅の全体像を明らかにすることを目的とする。調査の結果、41点の記事(1928〜1932)が見出され、永井の朝鮮楽旅は『京城日報』 によって口火が切られ、その後、民間新聞の『釜山日報』や『朝鮮新聞』に引き継がれていったことが判明した。特に第一回(1928年)と第六回(1932年)については、『京城日報』が強力に梃入れしたことが明らかとなった。これらの記事から42件の独唱会の存在が知られ、それらはあくまで部分的なものではあったが、演奏会の曲目や観客の反応等が分かるものも含まれている。 演奏曲目については、第一回の朝鮮楽旅が行なわれた1928年はシューベルトの没後100年を記念する年であり、シューベルトを集中的に取り上げる方向でプログラム変更がなされた。第一回(1928年)と第二回(1930年)のプログラムでは、初めに「泰西名曲(ベートーヴェンやシューベルト)の邦語訳詞歌唱」、次に「各国民謡九曲」ないしは「各国名曲九種」(日満露独英米仏伊拉)、最後に「新日本音楽」(宮城道雄作曲による新箏曲、ないし永井郁子考案の浄瑠璃歌謡曲)を置くという組み立てであったが、第六回(1932年)になると、「泰西名曲の邦語訳詞歌唱」が姿を消して、代わりに「新日本歌謡曲」として邦人作曲家の作品がまとまって取り上げられ、歌うに値する邦人作曲家の歌が出てきたという判断が永井の側にあったと理解される。 エヴリヌ・ピエイエが『女流音楽家の誕生』(1992/1995)で論じたように、輝かしい活躍をした女流音楽家たちの多くが忘却の淵に沈められている。日本歌曲の黎明期に貢献した永井郁子の事績を掘り起こし、しかるべき再評価に繋げるべく、問題の解明を続けて行きたい。

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津上 智実 -  『京城日報』に見るソプラノ歌手 永井郁子(1893〜1983)の朝鮮楽旅 https://t.co/pT1eHwHlvI

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