- 著者
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菅野 敦志
- 出版者
- 名桜大学総合研究所
- 雑誌
- 名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
- 巻号頁・発行日
- no.28, pp.1-13, 2019-03
本研究は,エリザベス・サール・ラムが中国における英語俳句の紹介に果たした役割について,主に中国人読者との交流に焦点を当てて明らかにするものである。一般的に,文化交流研究は二国間の関係が中心であり,俳句も日中文化交流研究にとって一つの重要な検討対象となる。しかしながら,1980年代以降の中国において,それは日本文化としての受容に限られるものではなく,むしろ,米国人によって詠まれる英語俳句=「ハイク」という形態をとり,民間レベルでの交流を進展させていた過程が見受けられたのであった。中国におけるハイクの紹介は,ラムが1985年7月に中国の雑誌『英語世界』に寄稿した,北米でのハイクの広がりを紹介する文章が嚆矢であった。その後,ラムは40数名もの中国人読者から手紙を受け取ることとなる。多くは数回のやり取りで途絶えたが,なかには龔海平のように,長年の交流の末にラムのハイクを翻訳して刊行するなど,確実に交流の成果を残す者も現れることとなった。最初のラムの文章から8年後,龔海平が中国語に翻訳して1993年に刊行された彼女の句集は,1979年の米中国交樹立後の民間交流の一つの小さな成果と呼べるものであった。それは同時に,戦後東西文化交流のなかの多文化間関係の一事例でもあったといえよう。