著者
嘉納 英明 竹沢 昌子 Kano Hideaki Takezawa Masako 名桜大学人間健康学部 Faculty of Human Health Sciences Meio University
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.23, pp.23-31, 2014-03

沖縄県N市の被保護母子世帯の母親は,後期中等教育以降の教育機会を受けることが少なく,20代前半から婚姻関係に入り,子どもを複数名(平均2.9名)出産する傾向にある。また,結婚生活は長続きせず(平均7.4年),経済的困窮に留まりがちであるという実像が浮き彫りになった。一方,N市の生活保護ケースワーカーは,被保護母子世帯の子どもの悩みやストレスの有無,教育支援ニーズについて,十分に把握できていないことが明らかになった。とはいえ,日常的に被保護母子世帯と関わっている生活保護ケースワーカーや子どもの自立に向けた支援を行う社会支援員は,被保護母子世帯の経済力の問題,学習環境の問題,子どもの低学力の問題,学校不適応の問題,貧困の連鎖の問題等について認識しており,また危惧していた。この視点は,生活保護行政の立場からの見解であるが,あながち,被保護母子世帯の子どもの教育支援ニーズと無関係ではないと考えられる。M大学の教職履修生は,このような生活保護行政の見解に賛同し,被保護世帯の子どもへの学習支援をスタートさせた。今後,子どもの教育支援ニーズをより一層明らかにするために,さらに調査を進めていく必要がある。Single mothers on welfare in N city, Okinawa Prefecture, Japan, tend to have had fewer opportunities for higher education, become involved in marital relationships by their early 20's, and bear more than two children (2.9 average). Moreover, their marriages do not last for a long time (7.4 years average), and they are prone to remain in poverty. Welfare workers in N city have not perceived precisely the educational support needed by the children of single-mother households, their worries, or their stresses. However, some caseworkers who assist single-mothers and their children on a daily basis and a social supporter who guides children toward independence do recognize their financial problems, poor educational environment, declines in academic performances, school maladaptation, and chain reactions caused by poverty. Although these perceptions were given by caseworkers who are in welfare administration, they may reflect educational support needed by the children of single-mothers. M University students studying in teacher-training course endorsed the caseworkers' views and started volunteering as teachers for those children on welfare. In order to elucidate the needs of educational support more clearly, further investigation and research are necessary.
著者
鈴木 啓子 平上 久美子 鬼頭 和子 Suzuki Keiko Hirakami Kumiko Kito Kazuko 名桜大学人間健康学部看護学科 Faculty of Human Health Sciences Meio University
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.23, pp.53-62, 2014-03

本研究の目的は,統合失調症患者を対象としハンドマッサージを行い,主観的指標および客観的指標を用いてリラクセーション効果を明らかにすることである。対象者は,民間の精神科病院に長期入院をしている10名の統合失調症患者である。毎回のハンドマッサージ実施前後の脈拍,血圧,「心地よさ」の自己評価点について検討した。又,全ハンドマッサージの介入前後において総合評価尺度を用いて検討した。マッサージ中の対象者の言動については質的に検討した。その結果,リラクセーションの自己評価点については全対象者で有意に得点の上昇が確認され,脈拍については7名,血圧については5名で有意に低下していた。全対象者において,ハンドマッサージが心地よさをもたらす反応がみられ,また,対象者自らが自分の困りごとについて自発的に語りだす等の変化があり,看護師(研究者)と対象者の関係がより良いものになった。以上より,ハンドマッサージは統合失調症患者に効果があることが示唆された。The purpose of this study is to clarify the relaxation effect of hand-massage using both subjective and objective indexes for patients with schizophrenia. The subjects were 10 schizophrenia patients with long-term hospitalization in a private psychiatric hospital. A subjective evaluation survey was conducted on their having "good feelings," pulse rates were taken, and blood pressure was measured before and after each hand-massage. An overall evaluation was also used to examine the patients before and after all massage interventions. Moreover, the behavior of the subjects during the massage was studied qualitatively. The major findings of this study are as follows: (1) relaxation levels significantly increased after hand-massage in all subjects, (2) pulse rates significantly decreased after hand-massage in 7 subjects, (3) blood pressure significantly decreased after hand-massage in 5 subjects, (4) overall evaluation scale did not show significant differences. All subjects were observed to have "good feelings" while receiving hand-massage. They began to talk about feelings and worries voluntarily during hand-massage,and the relationship between the nurses (researchers) and subjects improved. The results suggest that hand-massage is effective on patients with schizophrenia.
著者
菅野 敦志
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.28, pp.1-13, 2019-03

本研究は,エリザベス・サール・ラムが中国における英語俳句の紹介に果たした役割について,主に中国人読者との交流に焦点を当てて明らかにするものである。一般的に,文化交流研究は二国間の関係が中心であり,俳句も日中文化交流研究にとって一つの重要な検討対象となる。しかしながら,1980年代以降の中国において,それは日本文化としての受容に限られるものではなく,むしろ,米国人によって詠まれる英語俳句=「ハイク」という形態をとり,民間レベルでの交流を進展させていた過程が見受けられたのであった。中国におけるハイクの紹介は,ラムが1985年7月に中国の雑誌『英語世界』に寄稿した,北米でのハイクの広がりを紹介する文章が嚆矢であった。その後,ラムは40数名もの中国人読者から手紙を受け取ることとなる。多くは数回のやり取りで途絶えたが,なかには龔海平のように,長年の交流の末にラムのハイクを翻訳して刊行するなど,確実に交流の成果を残す者も現れることとなった。最初のラムの文章から8年後,龔海平が中国語に翻訳して1993年に刊行された彼女の句集は,1979年の米中国交樹立後の民間交流の一つの小さな成果と呼べるものであった。それは同時に,戦後東西文化交流のなかの多文化間関係の一事例でもあったといえよう。
著者
安仁屋 優子 佐久川 政吉 下地 幸子 あにや ゆうこ さくがわ まさよし しもじ ゆきこ Aniya Yuko Sakugawa Masayoshi Shimoji Yukiko 名桜大学人間健康学部看護学科
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.27, pp.107-115, 2018-03

本研究の目的は,文献から沖縄県離島・へき地の共同店が果たしてきた機能について明らかにし,共同店の機能を活かした未来の地域包括ケアシステム構築への応用可能性を考察することであった。 "共同店"などをキーワードに文献検索を実施。研究論文はCiNii,医中誌web版等,新聞・雑誌は沖縄タイムス・琉球新報のデータベース,MAGAZIN PLUS,沖縄県の市町村・字区誌,沖縄関連本は沖縄県立図書館データベースから検索した。文献から共同店が果たしてきた機能が記述されている内容を原文として抜き出し,カテゴリー化を図った。地域の中心に存在する共同店は,高齢者や住民同士・多世代間の「互助」を基盤に,小規模を活かした【多様な交流】が図りやすく,【柔軟な資金運用】や【地域資源の循環】の多機能を発揮しやすい環境にあった。また,日常・非日常の暮らしに必要な【生活情報の交換と発信】や【文化継承】の地域密着の機能を備えていた。さらに,【日常生活支援】に加えて,高齢者の生きがいづくりなどの【高齢者の介護予防】にまで広げ,「自助」を活性化させる可能性を秘めている。したがって,離島・へき地においては,共同店が果たしてきた小規模多機能地域密着型と自助・互助を基盤と捉え,これらの機能を活性化させることにより,地域包括ケアシステム構築への応用可能性はあると考える。
著者
安和 やよい 名城 一枝 嘉手苅 英子 あわ やよい なしろ かずえ かでかる えいこ Awa Yayoi Nashiro Kazue Kadekaru Eiko 名桜大学人間健康学部看護学科 名桜大学総合研究所 沖縄県立看護大学
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.27, pp.165-173, 2018-03

琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands, USCAR)による直接占領下での、那覇高等学校衛生看護科で行われた准看護婦教育は、琉球政府文教局の主導で開始されたと報告されているが、衛生看護科に関するUSCARの認識を示す文書は確認されていない。沖縄県公文書館所蔵のUSCAR文書を検討した結果、USCARは衛生看護科設置直前の1966年3月の時点で、衛生看護科履修後の生徒の身分をnurses' aidsとし、そのカリキュラムは看護婦資格取得または看護実践のための正式な看護教育を受けることを前提としたprep-schoolであるとしていたことが分かった。
著者
菅野 敦志 すがの あつし Sugano Atsushi 名桜大学国際学群
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.25, pp.77-86, 2016-03

本稿は,日本における台湾研究の理解につなげることを目的として,戦前・戦後の台湾教育史をめぐる研究動向とその変遷について論じるものである。教育史に限らず,台湾史研究の特殊性は,1945年を境としてそれ以前が国内史,それ以後が外国史として扱われることにある。戦前は日本統治がもたらした「文明化」としての教育近代化の成果を誇示するものであった他方,戦後はかつての植民地教育が,天皇制に基づく国家主義の下での異民族に対する民族性剥奪の教育であったとして批判される傾向にあった。とはいえ,第一,第二世代の研究者を経て,第三世代の研究者の登場や,1987年の戒厳令解除に伴う日本統治時代をめぐる歴史観の見直しという台湾内部の変化を受けて,日本の学界においても日本統治時代の教育を,「抑圧―被抑圧」の二項対立だけでなく,統治された側の主体性の点に着目して再検討されるようになり,研究の枠組みは大きな転換を果たすこととなった。本稿では,それら第一世代から第三世代の研究者の成果を紹介しながら,「制度から人へ」,そして「支配―被支配」から「台湾人の主体性」へと変容を遂げていった日本の台湾教育史研究の変容と回顧を概観したうえで,今後の研究についても展望を試みる。In this paper, I would like to briefly review the transition of the research trends and analytical frames regarding the History of Taiwanese Education in Japan, from the Pre-WWII Period to the present, mainly by reviewing the most important book publications during the period. The scholarship on the History of Taiwanese Education can be divided into two periods: one is the Japanese Colonial Era from 1895 to 1945, and the next is the Republic of China Era from 1945 to the present. The turning point came after the lifting up of martial law in Taiwan in 1987, when Kuomintang's historical view of an anti-Japanese narrative began to accept more moderate and objective views in the evaluation of the past Japanese rule. This change in historical discourse in Taiwan had also influenced trends in Japanese academic circles. Gradually, new research and publications came to focus and underscore the importance of the subjectivity of the Taiwanese people during the Japanese Colonial Era, rather than the long dominant framework which often presupposes a binary opposition between the colonizer and the colonized, oppressor and oppressed.
著者
津嘉山 淳子 Tsukayama Junko 名桜大学教務部教務課言語学習センター Language Learning Center Affair of Education Meio University
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.20, pp.63-69, 0000

近年,多くの教育機関が学習あるいは教育支援センターを設置しているが,日本の学習センターにおいては,学習支援者(以下チューターと呼ぶ)のほとんどが専門教職員あるいは大学院生となっている。アメりカではすでに約40年前からピアラーニングの研究が進められ,学習支援者への育成プログラムを開発しチューターとしての技術取得証明書を基準化し発行するシステム(International Tutor Training Program Certificate) も活用されている。沖縄県名護市の名桜大学にある言語学習センターは2002年にこのプログラムを導入し,それを基盤にチューター育成プログラムを実施している。このプログラムの効果を観測するために2011年7月に言語学習センターに実際に働いているチューター7名とチュータリングを利用した学生142名にアンケートを実施した。結果としてチューターはトレーニングを受けることでコミュニケーションスキルや学習支援技術の向上を実感し,学習支援を受けた学生もチューターの支援によって学力向上に役立ったと感じていることがわかった。Recently, Learning Support Centers have been established in many educational institutions. The most of the learning supporters -tutors- are part time or full time experts, instructors or graduates. Peer learning has been studied in United States for 40 years and they have developed the tutor training program and applied into the actual stage. The Language Learning Center in Meio University is the one that has been introduced the tutor training program from United State in 2002. In order to observe some effect on tutors through the trainings, the surveys were performed with seven tutors and 142 students who actually experienced tutoring by tutors in 2011. The result showed that the tutors felt that their communication skills and learning supportskills had been inlproved. Likewise, the students who experienced tutoring gave positive result that they appreciated the tutors' support and felt that their academic skills also improved.
著者
波平 八郎
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.5, pp.5-15, 2003-03

本稿では、映画『タイタニック』(J.キャメロン) のレトリック分析を行った。その前提として、映画の中で「映像の韻律」を生みだす要素である「韻としての映像(Image As Rhyme・IAR)」を措定した。そして、映画の中に見られる「手」の描写がIARの役割を果たし、映画の構造を形づくっているということを明らかにした。This paper attempts an analysis of J. Cameron's movie "Titanic." The analysis assumes an image to be a kind of rhyme that produces a rhythm of images in the movie. Thus, image as rhyme figures prominently in the depiction of the human hand, and both forms and clarifies the structure of 'Titanic.'
著者
仲地 清
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.4, pp.63-71, 2002-03

2000年7月21日から23日まで、名護市で第26回G8サミットが開かれた。言うまでもなく、G8サミットは,世界的な行事で,沖縄県民および名護市民も当初は沖縄開催の可能性に大きな期待を掛けてなかった。当時の小淵首相の政治的決断によって、首脳会合は沖縄県の名護市で開くことが決定された。岸本名護市長、および市民は喜び,その決定に驚いた。本論は,名護市が決定された経過、名護サミット推進協議会の業務、普天間基地移設の問題とのリンクの視点からのサミット開催反対の動き、サミット体験を生かした人材育成などについて分析する。The G8 Summit was held in Nago City from July 21 to July 23, 2000. It was a great world event, so Okinawans and the citizens of Nago City, in particular, hosted the summit in Nago. Mr. Keizo Obuchi, the prime minister, decided to bring the meeting of eight national leaders to Okinawa. Mayor Tateo Kishimoto of Nago City and Nago's citizens were very glad to have the summit. The paper deals with summit preparations, cooperation among Nago City citizens for the summit, and lessons learned from the summit.
著者
新垣 裕治
出版者
名桜大学総合研究所
雑誌
名桜大学総合研究 (ISSN:18815243)
巻号頁・発行日
no.9, pp.21-31, 2006-03

沖縄本島北部地域の"やんばる"には,ヤンバルクイナ,ノグチゲラ,ヤンパルテナガコガネなどの固有種を含め多くの種が生息している。沖縄島におけるマングース対策事業は1993年から行われているが,マングースの"やんばる"地域への分布拡大は防ぎきれていない。"やんばる"地域におけるマングースの連続分布北限は北上を続け,2003年には国頭村辺土名から安波ダムを結ぶ線まで到達したと予測されている。"やんばる"地域ではマングースの生息密度が低く,籠ワナ捕獲だけで分布域の全体像を把握することが困難であると考えられ,本調査では地域住民の目撃経験をアンケートで聞くことにより,マングース分布の現状把握を試みた。目撃数では東村が最も多く58件,次に大宜味村の26件で国頭村では12件であった。東村と大宜味村における目撃場所は村の南側で多かった。大宜味村の脊梁部では,大国林道沿いと脊梁部の西側の林道沿いでの目撃が多くなっていることより,分布は脊梁部を大国林道沿いに西側よりに広がっていると考えられる。国頭村では,県道2号線沿いで6件が目撃されており,これ以南では9件,より北側では3件であったことは,県道2号線が"やんばる"地域における連続分布北限であることを示唆している。目撃情報から推察すると,国頭村,大宜味村及び東村へのマングースの侵入時期は,2001-2002年と1989-1994年と考えられる。マングースの侵入時期前後の目撃件数(ヤンバルクイナは鳴声も含む)の変動より,マングースによる捕食の影響を受けていると思われる動物は,オキナワトカゲとヤンバルクイナであり,一方,ホルストガエル,アオカナヘビ,キノポリトカゲ及びミフウズラには影響が少ないと思われる。マングースの"やんばる"地域北側への分布拡大は,大国林道沿いに進んでいることが予測されるため,沖縄県が平成17年度に林道を遮断するように塩屋-福地ダムライン(SFライン)に沿った防護フェンスの設置を決定したことは,マングースの北上を阻止するのに有効に機能すると期待できる。しかし,SFラインより北においても既にマングースが生息していることは確かであり,フェンスの北側で徹底した捕獲作業を行う必要がある。また,国頭村内におけるマングースの分布から,県道2号線が連続分布北限と考えられるので,県道2号線沿いでも早急な対策を進める必要があると思われる。"Yambaru", the northern part of Okinawa Island, has many indigenous species, such as an Okinawa rail, an Okinawa woodpecker, and a Yambaru long-armed scarab beetle, and many native species. The countermeasures against mongooses in Okinawa Island have been conducted since 1993, however, expansion of mongooses into "Yambaru" area was not prevented. Continuous distribution of mongooses from southern and middle part of Okinawa Island is expanding into "Yambaru" area; it is expected to reach the line between Hentona in the west coast and Aha-dam in the east coast of Kunigami Village. In this research, questionnaire was conducted for estimation of population of the animal in the "Yambaru" area. The number of sightings was 59 in Higasi Village, 26 in Ogimi Village and 12 in Kunigami Village. The number of sightings was higher in the south side of Higasi and Ogimi Village. Since the number of sightings was many along Okuni-rindo forest path and those in the west side from Okuni-rindo in the mountain area in Ogimi Village, the estimated distribution of mongooses was westward from Okuni-rindo. In the Kunigami Village, estimated distribution border was on prefectural road No. 2: 9 in the south from the road, 6on the road itself and 3 in the north of the road. Date of sightings suggested invasion of the mongooses into Kunigami and Ogimi Village occurred in 2001-2002 and 1989-1994, respectively. Changes in the number of sightings of prey animals before and after invasion of mongooses, the most vulnerable to predation were Okinawa-tokage (five-lined skink) and Okinawa rail and less vulnerable were Holst's frog, Ao-kanahebi (Takydoromus smaragdinus), Kinobori-tokage (mountain agama) and Mifu-uzura (bustard quail). Since it was suggested that the invasion of mongooses into "Yambaru" area were along Okuni-rindo forest path, the security fence along the line between Shioya-Fukuchi Dam (SF line), which is going to be build in 2005 fiscal year by the Prefectural Government to block the Okuni-rindo is expected working well for prevention of inversion of mongooses. However, it is obvious that the distribution of mongooses had expanded already beyond the SF line to the north, thus it is needed to capture them also in the north of the SF line. Because the continuous distribution of mongooses border is considered to move to the north up to along prefectural road No. 2, the quick actions for preservation of indigenous species should be needed.