- 著者
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劉 琳琳
- 出版者
- 神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター
- 雑誌
- 非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
- 巻号頁・発行日
- no.22, pp.95-110, 2021-03-20
本稿は日本の金属業の祭祀の代表例――鞴祭りの形成過程に関わるいくつかの文化要素を考察してみた。鞴祭りの神話的基礎は中世の小鍛冶神話であり、小鍛冶宗近の宝剣作りを稲荷神が助けるというストーリーに、稲荷神が金属業の守護神であるという意識が含まれており、この意識はのちに京都の鍛冶職人をはじめとする金属業界において広まった。一方、鞴祭りの儀礼面の基礎となすのは京都で広く行われた冬の火焼行事と考えられる。一条兼冬の『世諺問答』の記述の分析を通して、火焼の源流は宮中の鎮魂祭御神楽およびその一環としての「庭燎」に遡ることが明らかである。鎮魂祭の深層にはもともと天岩戸神話があり、鎮魂祭は冬至に際して太陽のよみがえりを祈るという意識が含まれることになる。火焼・鞴祭りの成立に伴って、そうした意識もこの二つの行事に流れ込んだと考えられよう。さらに、室町時代以降、中国哲学の一端である一陽来復説が、火焼・鞴祭りの成立の観念面の根拠と見なされるようになった。一方、丙午と五月五日を吉日とする中国冶金業の吉日意識は日本にも伝わったが、ついに中近世の金属業に受け入れられた形跡が見つからず、日本における影響は限定的だと言わざるをえない。一陽来復説が鞴祭りに流れ込んだことによって、金属生産の営みが宇宙の運行とつながる形で捉えられ、暗黒や困難を乗り越え、希望をいつまでも持ち続けていくという前向きな価値観が金属業に結び付くようになった。鞴祭りは一見ごく単純な金属業の祭祀であるが、そのなかに人々の素朴な心理や神話・儀礼・哲学・技術という様々な側面が含まれ、多彩な国際文化交流および選別の結実として生まれたという、興味深い祭りである。論文