著者
米地 文夫 大木 俊夫 秋山 政一
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.157-170, 1988

1888年7月15日の磐梯山噴火後1世紀の間にこの噴火に関して多くの論文が公にされたが, なお未解決の問題も残っている。著者らはその一つである噴火開始時の状況の解明を試みた。これまで知られていなかった資料の発見や目撃者の証言の検討によって次の結果を得た。<br>1. 時刻: 噴火は1888年7月15日7:45a. m. に起こった。(Sekiya・Kikuchi 1890)。しかし多くの目撃者は8:00~8:10または8:30前後と証言している。検討の結果, 証言間の時刻の不一致は, 主として時法の混乱期にあったことによるものと推定された。1888年は, 1872年までの不定時法, 1873~1887年の定時法・地方時, 1888年以降の定時法・日本標準時という三種の時法・時刻の移行期であり, この地方では各時法・時刻の共存期にあったのである。<br>2. 地点: 煙柱の噴出すなわち水蒸気爆発のあった地点は小磐梯山頂の西麓と銅沼付近とであることが, 噴火時に磐梯山麓の住民が撮影・描写した写真やスケッチから推定された。<br>3. 噴煙高度: 最初に噴出した噴煙柱の高度は, これまで述べられていた1,200m程度という数値よりも更に小さく, スケッチや証言からわずか800mであったと推定される。この事実は, 守屋 (1980) の見解を裏付け, これを発展させた Yonechi (1987) の仮説, すなわち磐梯山の最初の水蒸気爆発自体はあまり大きくなく, 引き続いて起こった複数の, 時間間隙を持つ地すべり性の崩壊が大きかったのであるという考え方を支持している。

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編集者: 山田晴通
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