著者
中野 実
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.193-200, 1999

1886(明治19)年に創設された帝国大学は、日本の近代大学史において一つの大きな画期であり、大学制度の原型を示した。この帝国大学創設期の大学政策及びそれに深く関わった初代文部大臣森有礼の分析は、大学制度の原型形成期研究としてきわめて重要である。本試論は、帝国大学令そのものの成立過程にいまだ多くの不明な点を残している現在の研究状況にあって、東京大学所蔵の学内文書を取り上げ、これまで考察の対象とされることがほとんどなかった諸史料を提供することを第1の課題としている。創設期とは便宜的区分であり、森の文部大臣就任期間中を指す。さらに、この時期、すなわち「帝国大学体制」形成の最初期における帝国大学の学内規則の制定、改正過程を大学と文部大臣森有礼との応答関係を中心に分析する。具体的には、1)下級学校と帝国大学のアーティキュレーションに関する入学資格問題、2)学位制度改革に関わる学士号設定問題、3)創設直後の大学院制度に関わる問題を取り上げる。これらを通して、第2の課題として本試論は森文政期の大学像を再検討する。分析の結果については、以下の通りである。第1の史料の掘り起こしと評価について。学士称号授与の「説明」と大学院規程の改正説明とは、これまでまったくほとんど知られでいなかった史料である,。この史料の存在により、2つの事柄が帝大からの発議によって成立したことが明確になった。帝国大学の大学としての主体形成が、創設直後から開始されていったといえるだろう。さらに新らしい史料の提示は、帝国大学以外の機関においても史料所蔵の可能性があることを示唆するとともに、森文政期を検証する重要な方法になると思われる。第2は帝国大学理念にかかわる事項である。上記の2つの史料は、いわば大学の「現場」からの帝国大学理念の変更があったことを物語っている。大学院規程の改正説明は、大学院組織の有名無実化を公言して、分科大学本体論を展開していた。これは大学院と分科大学を以て構成するとした帝国大学理念の実質的な変更である。帝国大学は一方で文部大臣の影響力、応答を強く意識しながら、他方で成立一年後あたりから実態に沿った改革を行い始めた。この背景には、帝国大学が創設直後から着実に学士養成の役割を果し、学術研究機関としての実質を備えはじめていたことがあった、と思われる。それらに対して森は現実、実態による理念の変更については認めざるを得ない状況にあった、と言える。

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