著者
小野 雅章
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.542-553, 2007-12-28 (Released:2018-12-26)

本稿は、1935年の天皇機関説事件を契機に近代天皇制と教育との関係に大きな質的転換があったことを、御真影と学校儀式の取り扱いを検討する中で明らかにしようとするものである。具体的には、国立公文書館所蔵の文部省関係資料を再検討するとともに、筆者が調査した府県庁文書をその検討の対象に加え、(1)昭和天皇・皇后御真影下付手続きに関する諸事項とそのとき発覚した御真影汚損の実態とそれに対する府県レベルでの対応、(2)上述の事態を深刻に受け止めた文部省が各府県に係官を派遣し「御真影奉安状況視察」を実施し「奉護」形態状況把握に努め、その上で「行政指導」とでもいう形で御真影「奉護」規程の「統一化」を図ったこと、(3)さらに、1936年以降の文部省は、神社様式奉安殿の普及に努めると共に、「強制」下付という形で高等教育機関から初等教育機関すべてを対象に御真影の「強制」下付を実施するのと同時に、四大節学校儀式挙行を通牒で強制的に推進したことを明らかにした。
著者
横井 敏郎
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.85, no.2, pp.186-195, 2018-06-30 (Released:2018-10-17)
参考文献数
39

2016年12月に「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」が成立した。本稿は本法制定論議の時期区分と主な論点、制定に関わった主体・潮流の整理を通じて本法制定の経過と帰結を考察した。フリースクール団体の提案が法案審議に進んだのは、政策決定構造の変化を背景に、政府の能力開発・社会投資政策の枠組みに位置付けられたからである。法案についての厳しい意見対立は、教育の新たな政治的対立図式が顕在化したものと捉えられる。しかし、不登校対策を主な内容とする法の成立という帰結は、学校を越えることの困難をも示している。
著者
今井 康雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.188-201, 2015

エビデンスに基づくことで教育は劇的に改善されるとする主張が興隆しているが、教育の領域でエビデンスはその証拠能力に依拠する限り無力であり、エビデンスの威力はそのレトリック的効果に由来する。エビデンス批判もこのレトリック的効果に目を向けており、教育を支えるに足るエビデンスの可能性は真剣に考慮されていない。「エビデンスに基づく医療」の状況を検討し、エビデンスの概念史を再構成することを通して、エビデンスは教育を支えるのか、それともその基盤を掘り崩すのか、といった二者択一には収まらない、エビデンスと教育の複雑な関係が浮き彫りになる。
著者
神林 寿幸
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.25-35, 2015

近年、教員の多忙化が政策課題とされており、教育学研究でも事務処理などの周辺的職務に伴う教員の多忙化が複数指摘されてきた。しかしこれらの指摘は十分な実証に基づくものではなかった。そこで本稿では現存する1950~60年代と2000年代後半の教員の労働時間調査について、一般線形モデルを用いた比較を行った。その結果、1950~60年代に比べて、2000年代後半以降の教員は、事務処理等の周辺的職務に長い時間を費やしているとは必ずしもいえず、他方で教育活動(特に課外活動)に費やす時間が長いことが明らかとなった。
著者
今井 康雄
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.188-201, 2015 (Released:2016-05-18)
参考文献数
42
被引用文献数
1

エビデンスに基づくことで教育は劇的に改善されるとする主張が興隆しているが、教育の領域でエビデンスはその証拠能力に依拠する限り無力であり、エビデンスの威力はそのレトリック的効果に由来する。エビデンス批判もこのレトリック的効果に目を向けており、教育を支えるに足るエビデンスの可能性は真剣に考慮されていない。「エビデンスに基づく医療」の状況を検討し、エビデンスの概念史を再構成することを通して、エビデンスは教育を支えるのか、それともその基盤を掘り崩すのか、といった二者択一には収まらない、エビデンスと教育の複雑な関係が浮き彫りになる。
著者
藤村 正司
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.167-180, 2016 (Released:2016-08-06)
参考文献数
27

なぜ大学教育と労働市場の接続が、非連続になるのか。本稿は、このリサーチ・クエスチョンに対して景気循環とは異なる構造的要因に注目する。1993年以後、わが国の私学主体の高等教育システムには、学歴インフレによる「機会の罠」が生じている。大卒新規労働者は、労働市場における世代間の置換効果にも晒されてきた。就活におけるメンタリティが内定獲得を、マッチングの質が大卒労働者の能力発揮を規定している。
著者
児島 博紀
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.36-47, 2015 (Released:2016-05-19)
参考文献数
34

本稿は、J. ロールズによるメリトクラシーへの批判的視点を検討することで、機会の平等をめぐる議論に従来と異なる視点を提供することを試みる。機会の平等を論ずる際、しばしば自由と平等という理念的対立が強調され、ロールズは平等の側に位置づけられる。これに対し本稿は、平等主義の理論的困難をふまえつつ、むしろロールズの主張には自由の観点が見出せることを指摘し、最終的に平等な自由の再定義の必要性を主張する。
著者
小野 方資
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.241-252, 2015 (Released:2016-05-18)
参考文献数
12

「エビデンス」という語は、教育政策の批判的検証の意味で用いられていた。しかし政策形成に力を及すアクターにより、「エビデンス」の語義が変化していく。この語は、政策形成に影響力あるアクターが予め設定した達成すべき「条件」の意味となる。そして、このようなアクターの意向により切り取られた「結果」を「エビデンス」とし、これを踏まえるべきと政策に条件づけをし、当該アクターの意向を反映させようとする政治性も観察される。
著者
野元 弘幸
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.436-442, 1999-12-30 (Released:2007-12-27)

本論は、外国人住民が急増する日本社会における教養問題の構造を明らかにし、多文化社会における教養の再構築をめざす教育のあり方を模索するものである。その際、日本語文字(漢字、ひらがな、カタカナ)によるコミュニケーション問題に注目する。なぜなら、1980年代から急増している外国人住民(いわゆるニューカマー)の多くが、非識字の状態にあり、住民としての基本的な諸権利を行使するに不可欠な基礎教養である日本語読み書き能力を欠いているからである。そこに多文化社会における教養問題が最も鋭い形で表れていると思われる。筆者は1998年7月・8月に、愛知県豊田市の団地で日系ブラジル人80名を対象にした日本語読み書き能力に関する調査を実施した。そこで以下のことが明らかとなった。(1)漢字によるコミュニケーションは、ほとんどの人が不可能で、「禁止」「注意」「危険」「禁煙」など、自らの生命に直接関わる重要な表示・標識をまったく理解できない状態で生活している。(2)漢字の読み書きがほとんどできないのに対して、ひらがな・カタカナを読み書きできる人はある程度いる。(3)厳しい学習環境にもかかわらず、文字の読み書きへの学習意欲は低くない。こうした調査結果を踏まえて、外国人住民が急増する中で地域社会を支える基礎教養の一つである文字によるコミュニケーション力確保のために以下の3つの提案を行った。(1)役所・病院など公共の施設・スペースと職場の掲示・表示に使われる漢字のすべてにルビを振る。(2)その上で、外国人住民の基礎教養としてひらがな・カタカナの習得を促す。(3)来日初期の外国人のための基本的サービスにかかわるものは多言語表示を行う。これらの提案を実現するための課題の一つは、外国人住民のひらがな・カタカナ習得をすすめるための識字教育をどう行うかである。日本語教室等の数は急速に増えているが、外国人住民の数と比べると依然として不十分で、外国人住民の一部しか日本語教室等で学ぶ機会を得ていない。こうした厳しい状況のもとでは、外国人住民の基礎教養としてのひらがな・カタカナ習得を促すことは極めて困難である。そこで、ひらがな・カタカナの学習支援を基礎教育の一つとして制度化し、国や地方自治体の積極的関与を義務づけることが必要となる。その際に、「社会基礎教育」という新しい概念を導入することが有効かつ必要であろう。もう一つは、主に日本人住民が、地域社会を支える教養の維持という視点から、外国人住民の急増に伴うコミュニケーション手段確保のための具体的な取り組の必要を自覚し、実際生活に活かしていくための教育をどう組織していくかである。具体的な実践的課題を提示する学習プログラムを開発し、外国人住民との共生のための新しい文化的教養を創造する、質の高い学習が組織されなくてはならない。
著者
舘 かおる
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.406-416, 1999-12-30 (Released:2007-12-27)

本論では、日本の大学における教養教育の分野でなし得ている、女性学・ジェンダー研究の貢献について検討する。 従来の定義に従えば、教養教育の役割は、人文学と自然科学の幅広く基礎的な「知」の習得を通じて、学生たちを良く均整のとれた人間に成長させるように促すことであるが、第二次女性解放運動後、その「知」は、ジェンダー化(性別に関わる偏向がある状態)されていると認識されるようになった。ジェンダーは、我々の社会組織や自分自身の経験の最も基本的な構成物の一つである。また、ジェンダー関係を理解することは、地域的にも世界的にも、社会変化の過程と現代の社会生活を理解するための中心と言える。それ故、大学の教養教育にジェンダーの視点を組み入れることは、重要なことである。他の国々と比較すると、日本ではそんなに多くの大学ではないが、女性学・ジェンダー研究を提供している。国立婦人教育会館が行った調査によれば、1996年で351の大学が、女性学・ジェンダー論の講座を開設しているが、学部レベルで女性学・ジェンダー研究の学位を取得できる大学は皆無であり、大学院レベルでは城西国際大学とお茶の水女子大学で修士と博士の学位を習得できるのみである。 本論では、一章で、日本の大学において見られるジェンダー・バイアスの様々な局面について、大学の女性教員数が少ないことを含め、論じている。二章では、日本の大学における女性学・ジェンダー論講座の概況について述べている。三章では、女性学・ジェンダー論講座を登録する学生が増えているいくつかの理由について考察している。その理由の一つには、この講座を教える者たちが用いる革新的な教育方法にある。四章では、女性学・ジェンダー研究が提供する「新しい知」に直面した学生の反応をいくつか記述している。 日本の教育システムは、一般に学生たちの経験から分離した様々な知を暗記して吸収するよう教えられることが普通である。しかし、本論で示すように、学生たちは、女性学・ジェンダー論を履修して、知がどのように構築されているかを知るようになり、同時に、既存のシステムを疑い、挑戦し、新しい知を構築する力を得ることを実感する。さらに、ジェンダー・アイデンティティが社会的文化的に構築されるという気付きは、社会的な慣習や規範に縛られることなく、自分のアイデンティティを構築し、新たな未来を発見する可能性を開くようになる。また、女性学・ジェンダー論は、公的領域でのジェンダー化された権力関係を見ることも可能にする。例えば学生たちは、少年のグループによって,女子高校生が連れ去られ、強姦され、殺された時の、メディアの報道における隠されたジェンダー・バイアスを見つける。日本の法システムにおいて、強姦犯に課する罰の軽さと同様に、強姦の被害者に対する警察の扱いが軽いことに、男子学生、女子学生に限らず、学生たちは警告を発するようになることにも触れている。 一端、社会システムも知もジェンダー化されていることを認識すると、例えば、フランス革命における人権宣言や共和制の理念が、女性を排除したことの意味を、学生たちはたやすく理解する。さらに、近代科学が女性と人種に対し差別化したことも知り得る。このような気付きは、ジェンダー・バイアスのない新しい知を創ることが重要と考えるように彼らを力づける。 多くの国で、様々な分野におけるジャンダー分析が、有益であり重要であると認識されている。それ故、21世紀においては、すべての大学の教養教育に、女性学・ジェンダー研究の視点が含まれるべきであると思われる。
著者
松下 良平
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.202-215, 2015 (Released:2016-05-18)
被引用文献数
2

客観的根拠に基づいて教育の研究・実践・政策を一体的に進めようとするエビデンスに基づく教育は、一まとまりの意味システムとして特有の政治的機能を果たす。そのためその教育への批判は、その理論的前提への内在的批判とともに、その実行が再帰的に社会にもたらすものに目を向ける必要がある。教育観の変容を経て成立可能になったエビデンスに基づく教育は、それを要求してきた固有の歴史的・社会的文脈ゆえに教育を変質させ、教育の形骸化や空洞化をもたらすであろう。さらには教育学を廃棄に追い込んでいく可能性もある。