著者
佐久間 亜紀
出版者
Japanese Educational Research Association
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.3, pp.333-343, 2000

本稿では、19世紀初頭にエマ・ウィラードが設立したトロイ女子セミナリーに焦点をあて、彼女の教師像と教師教育の実際を明らかにし、その意義を考察した。トロイ女子セミナリーは、女子教育史の領域で研究対象となってきたが、教師教育者としてのウィラードの業績や、トロイ女子セミナリーにおける教師教育の検討は日米いずれにおいても行われておらず、課題として残されていた。この事例の検討によって、従来のアメリカ教師教育史の理解は以下五点において書き換えられたことになる。第一に, 従来のアメリカ教師教育史研究においては、教師教育の成立は1830年代の州立師範学校であるとされてきた。しかし1810年代には既に、ウィラードら女性教育者によって教師養成機関や教授理論が創造され、その女子セミナリーにおいて開拓された理論こそが、州立師範学校設立の理論的素地を提供していたのである。第二に、先行研究において教職専門職化運動は、コモンスクール再興運動による教職の需要急増によって生まれたと説明されてきた。しかしウィラードの事例は、教職専門職化のロジックが、教職需要の急増以前に既に提出されていたことを示している。アメリカでは、専門職化への社会的需要が教師教育の成立を促したというよりもむしろ、経済的自立や教育機会拡大の方途を探る女性たちが、自らのサービスの需要を創出するために、教職を専門職化するロジックを必要としていたのである。第三に、この事例の検討によって、アメリカの教師教育は、女子教育として開始されてきた側面を持つことを明らかにした。この発見によって、なぜ州立師範学校の学生のほとんどが女性であったのかの説明がつく。さらに従来全く看過されてきた教師教育と女性教育の関係、特に教師の社会的地位の低さと女性のそれとの関連を示すことができた。当時のジェンダー規範における女性性を根拠として、教職への女性の適性を主張したウィラードの戦略は大きな成功を収めたが、しかし一方でそのロジックは、教職の低賃金や社会的低地位、偏った性比や男性管理職との階級格差など、意図せざる結果を生んでいた。第四に、従来の教師教育史は、教師の学識を重んじるアカデミーの系譜と、教職準備教育を重んじる州立師範学校の系譜の、軋轢の歴史として描出されてきたが、本事例においては、両者を統合したカリキュラムが創造されていた。ウィラードは社会からの反発を避けるための戦略として、あえてカレッジの名をつけなかったが、トロイ女子セミナリーのカリキュラムは、実質的には男子学生を対象としたカレッジ相当のものであった。この発見によって、デューイより80年ほど前から「第三の系譜」が存在していたことになり、注目に値する。第五に、ウィラードやトロイ女子セミナリーの指導者たちが、既に1820年代から、ペスタロッチに学んだ視覚的理解を促す図版を多く取り入れた独自の教科書と教師教育方法を開発していたことを明らかにした。従来の先行研究においては、アメリカにおけるペスタロッチ教育学の教師教育への応用は、オスウィーゴ-師範学校のシェルドンにより開拓されたと説明されてきた。

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