著者
村田 昇
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1970, no.21, pp.60-66, 1970

今まで学んできたドイツ教育理論を、一度、その理論を生み出した基盤の上に立って見なおしてみたい、特にその際、それを理論と実践との関連において把えてみたい、そのためには、単に伝統に生きているところよりも、むしろ伝統をうちにはらみながら近代化のなかに揺れ動いているところの方がいいのではないか。これが、私が留学の地にハンブルグを選んだ一つの理由でした。この点ハンブルグは、自由ハンザ同盟以来の古い歴史的伝統と、アルスター湖およびエルベ河に象徴される自然の美とを誇り、それらを保護し、生かしながら、そのなかに若々しく活動する近代商業都市として形成されており、私の念願にかなっていたことになります。そこで、大学に出席するかたわら、できるだけ多くこの地の教育の現実に膚でふれてみたいと、つとめて各種の学校や教育施設を視察しています。<BR>しかし、ハンブルグを選んだより大きな理由は、この大学に、かのSpranger, Litt, Nohlなきあとの西独教育学界の重鎮Wilhelm Flitner (1889.8.20生) 教授と、Spranger高弟であるHans Wenke (1903.4.22生) がおられることでした。しかしここに来てみると私の期待は裏切られ、Flitner教授は老令のためにすでに退官、チュービンゲンの息子さん (Andreas Flitner) のところにいってられるのか、ここしばらく音信不通で、とても面会はできないだろうとのことです。Wenke教授に関しては、この大学でも前ゼメスターには相当にはげしい学生の動きがあり、先ずねらわれたのがWenke教授。なんでも戦時中にヒットラー体制に迎合する行動があったことを、急進学生によって糾弾され、それにいやけがさしたのか、本ゼメスターから退官された様子。今は、Spranger全集の編集と大学に付設されたハンス・ブレドウ放送研究所の所長として多忙のようで、出張がちで、彼を助けてSpranger全集の第五巻Kulturphilosophie und Kulturethikの編集にたずさわったKlaus Schleicher助手が、なんとかして私に会わせる機会を作ろうと努力し、また、Wenke教授からも日本のSprnger研究の動向などを知りたいから是非にという返事を受けてはいても、いまだにその機会に恵まれません。さらにKleine p&auml;dagogishe TextやZeitschrift f&uuml;t P&auml;dagikの編集者として知られていたGeorg Geissler (1902.11.22生) 教授もすでに退官。Doktorande-kolloquiumだけはすることになっていますが、殆んど大学には顔を見せず、面会も難しいようです。そのようなことで、ここに来た当初は、いささか失望したことは否定できません。<BR>しかしその後、あとで述べるHansmann, Scheuerl両教授と、ベルリン大学でSpranger教えを受け、現在、演習でその著作を読むLotte Lipp-holscher講師、前述のSchleicher助手、それにSpanger初期の思想を学位論文としてまとめつつあるMichael Loffelholz助手らとの出会いによって、この大学に学べることに喜んでおります。<BR>こちらに来ましてから、まだ四ヵ月。知りえたことはごく僅かでしかありませんが、この大学の教育学科の特色や学風について、いくらかなりとも御紹介したいと思います。

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