著者
大庭 健
出版者
The Philosophical Association of Japan
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
no.47, pp.1-14, 1996

国家と民主主義を、あくまで哲学の立場で考えるという営みに、道徳哲学・倫理学の立場から参与せよ。これが私に課された役回りらしい、と今になってようやく気づいた私は、なんでも簡単に引き受けてしまう自分の浅はかさに改めて愕然としている。<BR>理由は、錯綜しているが、少なくとも二つはハッキリしている。ひとつ。右の課題の遂行は、政治学・政治哲学、法学・法哲学での議論を一応は理解したうえで、哲学固有の観点から問をたてることを要求する。しかし私は、それら諸領域での議論に通暁してもいないし、哲学固有の観点についても見解が定まっていない。もうひとつ。右のような生の問題について哲学・思想の名でなにかを語ろうとすると、ひとは (少なくとも私のような人間は) 、いつしか、あたかも管制高地から情況を俯瞰して正しい指令をくだせるかのように自任する「大文字の知識人」ふうの思考回路に誘いこまれる。<BR>しかし私としては、それは避けたい…… (だったら、なぜ引き受けたのだ!?) しかし、浅はかにも引き受けてしまった以上、国家と民主主義について何らかの問をたて、答を求める議論の一端を提示しなければならない。そのために、まず、見苦しいが床屋政談ふうに (つまり受け売りの横流しで) 話題を列挙し、次にそこから、どんな問題があぶり出されてきそうかを探ってみたい。

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