著者
菊池 一郎
出版者
日本ハンセン病学会
雑誌
日本らい学会雑誌 (ISSN:03863980)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.118-124, 1993

熊本のハンセン病の歴史は本妙寺に患者が集まったことに始まるがその起源ははっきりしない。明治4年には喜捨をうける患者の記録があり,人の眼に触れるようになった。これは明治4年7月に廃藩置県,8月に非人解放令が発令されたあと,国内の交通が自由になったことと関係があろう。明治28年に私立の回春病院,明治42年に公立の九州療養所が設立されたが,本妙寺集落は昭和15年の患者の強制収容で終わった。その間の集落の存続の理由などを検討したが,差別が少ない集落であったことや,経済生活が容易であったことや,公立療養所での生活の厳しさなどがその理由であったようである。患者の強制収容は回春病院の廃止と同様戦争準備であったと思われるが,国家権力の意識と実行がどういう関係にあったかは明らかでない。

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