- 著者
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下村 道子
- 出版者
- 宝石学会(日本)
- 雑誌
- 宝石学会(日本)講演会要旨
- 巻号頁・発行日
- vol.34, 2012
美しく輝く宝石は古代から人々を魅了し続けている。古代ギリシアの哲学者は宝石の成因や性質の違いについて思索したが、1世紀のプリニウスは『博物誌』のなかで宝石の色や性質や産地のほかに、様々な伝説や効能や神秘的な力を記述した。その後、中世ヨーロッパでは宝石の美しさよりも神秘的な力や効能が増幅され、魔力や薬効を列挙した「鉱物誌」と呼ばれる文学のジャンルの書物が広く流布した。16世紀になると、現在では「鉱物学の父」と呼ばれているドイツのゲオルグ・アグリコラが、科学的な観察に基いて『鉱物の性質について』を著わした。しかし「鉱物誌」の神秘的な力や薬効が完全に払拭されたわけではなかった。そしてその後、科学の発展によって18世紀ころから近代的な鉱物や宝石に関する著作が次々に出版されるようになり、19世紀末にイギリスで宝石学の教育が始まった。<br>こうした宝石学の歴史のなかで、16世紀のイギリスのエリザベス1世の宮廷肖像画家の一人であり金細工師でもあった画家ニコラス・ヒリヤード(1546/7-1619)が著わした文書は注目に値する。彼は宝石の熱処理、各種宝石の色変種、ダイヤモンドの輝きとカット、ダイヤモンドと類似石の識別方法など現代の宝石学に通ずる情報を自分の経験に基いて詳細に記述しているのである。また16世紀のイタリアの彫刻家であり金細工師であったチェッリーニや、17世紀初期のイギリスの金細工師による著述と比較・検討することも興味深い。