- 著者
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大門 正幸
- 出版者
- 国際生命情報科学会
- 雑誌
- 国際生命情報科学会誌 (ISSN:13419226)
- 巻号頁・発行日
- vol.34, no.1, pp.66, 2016
日本における超心理学研究の先駆者であり、念写現象の発見者であると言われる福来友吉博士は、研究によって得られた知見や哲学的考察、自身の宗教的体験を通して、一種の仏教的世界観を構築するに至った。それによれば、我々が自我と呼ぶものは認識するための主体としての識性と、生きようと活動する主体であるところの命我に分かれる。また、識性は伸縮自在であり、身体の束縛から解き放たれる時には、その認識範囲は無限に拡大し、宇宙そのものと一体となるが、その拡大された識性(普遍平等の絶対識我)を認識するためには、身体に捕われたまま内観を行ったり、身体に捕われた状態で経験したことを基に哲学的思索に耽るだけでは不十分であり、命我の執着を脱することが必要であると説く。本発表では、このような福来博士の世界観について、ベルグソンやジェームズ、ブロードやハクスリィらが主張した脳濾過装値論と比較しながら、考察していきたい。