著者
碇 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.513-533, 2016

本稿の目的は、アメリカを中心に展開する肥満差別の廃絶を訴えるファット・アクセプタンス 運動の実践を、哲学者ネルソン・グッドマンの世界制作論に依拠しながら、〈世界〉の制作として記述することである。 ファット・アクセプタンス運動は、公民権運動が盛り上がりを見せる時期のアメリカで1969年 に誕生した。しかし、これまで肥満差別は、人種差別やジェンダー差別などに比べ、廃絶すべき差別として捉えられてこなかった。なぜなら、体重やサイズをあらわす「ファット」カテゴリーは、「公民権法」が擁護する「人種」や「性別」などの公民権カテゴリーと比べ、「本質的」なカテゴリーではないと考えられてきたからだ。 ところが、1980年代後半から、アメリカでは肥満者の急増が社会問題化された。肥満は、病気を引き起こすリスク要因として公衆衛生の予防介入政策の対象となり、健康を自己管理し病気を 予防することは個人の「義務」となりつつある。本稿では、こうした時代を、一方で、不確実性の忌避やリスク管理を志向しながらも、他方では、未来は完全に管理できないという矛盾した事実に直面しながら生きなければならない時代と位置付けた。そして、こうした時代状況で、運動参加者が、肥満を病理化する医学的疫学的な知に対抗し、「ファット」カテゴリーが属する新たな知の体系を再構築していく実践を、対抗的な〈世界〉の制作として描写した。 描写を通じて明らかにされたのは、対抗的な二つの世界は、隔絶しているように見えて、むしろ、近接しているのではないかということである。その近さゆえに、ファット・アクセプタンス運動の人々は、二つの世界をどちらも不完全なまま部分的に通約(不)可能な存在として生きなければならない。この考察から、結論では、文化相対主義を再考し、あらゆる視点から離れた世界はないという「徹底した相対主義」から世界を理解することの意義が明らかになった。

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