著者
赤澤 威
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.517-540, 2010-03-31 (Released:2017-08-18)

アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した。この結末については考古資料、化石、遺伝子の世界で明示できるが、なぜ新人に軍配が上がったのか、両者の間には一体何があったのか、何が両者の命運を分けたのか、誰もまだ答えをもたない。このネアンデルタール絶滅説の検証に取り組み、数々の成果を挙げたのが"Cambridge Stage 3 Project"(T.H.van ANDEL&W.DAVIES eds.2003 Neanderthals and modern humans in the European landscape during the last glaciation)である。Stage3とは6万年前から2万年前のこと、ヨーロッパ大陸は最後の氷期に当たり、同時にクロマニョンの入植そしてネアンデルタールの絶滅という直近の交替劇の起こった時代である。本プロジェクトは、交替期の気候変動パタンとそれに対するネアンデルタールとクロマニョン両者の適応行動の違いをみごとに復元した。この研究によって交替劇の存在を裏付けるデータは着実に蓄積され、交替劇がいつ、どこで、どのような経過をたどって進行したか、少なくともヨーロッパ大陸を舞台とする交替劇に関する記述的部分は具体化され、交替期における旧人社会と新人社会の間の相互作用の概略が見えてきた。本稿は、同プロジェクトの成果を参考にしながら、ヨーロッパ大陸を舞台にして、両者はいつ、どこで、どのような経緯をたどって交替していったか、その概略を述べ、そこから交替期の時代状況に対して両者の採った適応行動の違いを考察し、交替劇の原因に迫ってみたものである。
著者
中空 萌 田口 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.080-092, 2016 (Released:2017-10-16)
参考文献数
53

This paper explores the ways in which the concept of the “dividual” has functioned as a heuristic device for varied forms of anthropological thinking. Anthropologists study different cultures or societies to reconsider their own (often Western or universal)concepts. However, that has led to controversy, especially in terms of essentializing the “other” by exaggerating and reifying differences between “us” and “them.” This paper avoids the tension inherent in the binary of the Western/universal self and non-Western/local personhood by exploring “dividuality.” Dividuality, as opposed to individuality, has taken form through comparisons not only between the West and non-West, but also between two non-Western areas, namely South Asia and Melanesia. This paper extends the comparative enterprise to also take into account the di erent theoretical discussions that helped shape the concept in di erent ways across regions. Rather than relying on the conventional, linear assumption that concept-making is a matter of abstraction that necessary follows the concrete specificities of ethnographic data, the dividual offers a particularly strong illustration of the co-emergence of data and theory. Section II examines the Indian model of the dividual. David Schneider, emphasizing the importance of natives’ categories, proposed a framework with substance and code comprising American kinship. In McKim Marriott’s Indian ethnosociology, those elements were combined as inseparable “substance-codes,” exchanged by transactions of food, sexual fluids, or everyday conversations. The personhood thus constituted was dividual. In the Indian context, dividuality supported Marriott’s critique of Louis Dumont’s rigid dualism, centering on purity and impurity, since it emphasized the more dynamic and uid exchanges of substances. In spite of that, the Indian model was neglected for decades, most importantly because Marriott’s ethnosociological inquiry focused only on pure indigenous categories in an isolated way, which reinforced the assumption of different, Western categories. Section III traces how the dividual was subsequently recovered and applied to Melanesian anthropology. Roy Wagner transported David Schneider’s model to Melanesia, and Marilyn Strathern extended Wagner’s argument by transforming the dividual to explore the main topics of contemporary Melanesian studies. In particular, central to Strathern’s endeavor was a critique of mainstream Marxist feminist theory deployed to analyze systemic gender inequalities in Melanesia, and her alternative elaboration of the gender of the gift. Of equal importance were Wagner’s heuristic approach toward Melanesian personhood and Strathern’s strategy of continuous comparison between Melanesian and Euro-American contexts. Rather than seeking local dividual personhood or indigenous categories, their projects have suggested how individuals emerge through dividuality. Because of that attitude, their arguments were widely influential among Melanesianists, who sought novel explanations for continuities and changes in Melanesian societies. Furthermore, Strathern has re-contextualized her idea of dividuality to the West, drawing an analogical comparison between the dividual in Melanesian personhood and merographic relations in English kinship. The final section summarizes differences in concept-making between Indian ethnosociology and the Melanesian heuristic approach. Moreover, juxtaposing the Indian model with contemporary situations, it suggests fresh insights for understanding humanity when individuality is not taken for granted.
著者
藤本 武
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.347-370, 2010-12-31 (Released:2017-06-23)
被引用文献数
1

近年アフリカにおける小規模な紛争について環境変化による希少な資源をめぐる争いとする議論がある。牧畜民と農耕民の間の紛争では放牧地を確保しようとする前者と農地を拡大しようとする後者の土地をめぐる争いとされる。本論はエチオピア西南部の牧畜民と農耕民の間で発生してきた紛争事例について検討を行った。この地域では低地に暮らす牧畜民間の紛争が変動する環境下での資源確保や民族形成との関連で考察されてきた。ところが牧畜民の一部は1970年代から近隣の山地に暮らす農耕民を襲い、遠方の農耕民にまで対象を拡大してウシなどの財を略奪してきた。本論の分析から、紛争の背景には19世紀末にしかれた牧畜民と農耕民に対する国家の異なる統治策、国家支配のエージェントである入植者の私的関与、20世紀前半に主として農耕民になされた奴隷狩り、そして近年の自動小銃の流入など、外部からの地域への関与の問題が無視できないことが明らかとなった。じつは、他のアフリカの牧畜民と農耕民の紛争でも、紛争当事者間の土地などの資源をめぐる争いの背景に、国家や国際機関などによる開発政策が結果として争いを激化させていたり、過去の奴隷制が集団間の関係に影響をおよぼしているなど、資源紛争の構図におさまらない同様の問題が認められた。小規模な紛争を対象に、その個別具体的な相を掘りさげて分析する人類学の紛争研究は、今日常套句的になされがちな紛争説明に対して発言していくべきであるとともに、紛争後も長期に関わることで地域の紛争予防にむけた動きを支援するなど、独自の貢献を果たしていくことが求められる。
著者
川口 幸大
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.153-171, 2019 (Released:2019-11-11)
参考文献数
57

本稿は、大学入学を機に東北地方で暮らすことになった関西出身者としての私の自己と他者認識の形成、およびその変遷についてのオートエスノグラフィである。関西と関西人については、主にマスメディアから発せられる画一的な表象によって、その「ユニークさ」が広く人口に膾炙している。私は地元にいた18歳までは厳密な意味で自分が関西弁を話す関西人であると意識したことはなかったのだが、仙台で暮らすようになってから、関西人はよくしゃべる、どこでも関西弁を話す、面白い、値切ることができる、ガラが悪い、納豆が嫌いといったステレオタイプに基づくまなざしを受け、次第にそれを内面化させた振る舞いをして関西人として生きるようになった。今回、オートエスノグラフィのかたちで改めて関西人としての自己について思考し記述してみて分かったのは、それらのトピックを冗談以上の主題に発展させることは難しく、結局のところ個人的な差異の領域に帰されること、かつその背景には私を含めた日本の文化人類学における自己/他者認識の偏った枠組みが遍在していることである。他方で、私のこの状況は、エクソフォニー(母語の外にある状況)についての議論さえも相対化しながら、自己/他者認識の軛を自らの個人的次元で受け止め、それを弛めうる可能性につながることも明らかになった。
著者
髙山 善光
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.358-376, 2018 (Released:2019-05-12)
参考文献数
66
被引用文献数
1

これまで呪術を説明すると考えられてきた「類似」は、認知科学の発展によって、普遍的な認知機能の一つであることが明らかにされ、呪術に限定されるものではないということがわかってきた。このため、呪術の知的世界の特徴を理解するためには新たな理論が必要であり、この新しい理論の形成に向けて、「思考の現実化」という考えを私は以前提出した。本論では、この「思考の現実化」という理論を深めることで、近代「呪術」概念の定義の問題を乗り越え、新しく「呪術」を定義してみたいと考えている。近代呪術概念の特徴は包括性にあり、その包括性は、「呪術」が宗教的認識によって現実化された推論を意味しているということに起因していると主張したいと思う。 近年の呪術概念に関する議論は、大きく二つの潮流に分けることができる。まず一方には、この近代的な呪術概念を放棄すべきだと考える研究者がいる。そして他方で、やはり保持すべきだと主張する研究者がいる。本論ではまず、この矛盾は、前者の研究者が、近代的な呪術概念の包括性に対する理解を欠いていることに起因しているということを論じた。そして次に、この包括性は、「呪術」が推論という普遍的な要素を指しているということに関係があると議論した。 しかし、この呪術的な推論には、宗教的である一方で、科学的にも判断されるというさらなる問題がある。この問題を解くために、次に、宗教的認識という独自の理論を用いた。結論として、私は、近代的な呪術概念は、この宗教的認識によって現実化されている推論のことを指している概念だと結論づけた。そのために、呪術は、宗教的認識あるいはその推論的な側面のどちらに注目するかによって、宗教的にも、科学的にもなり得ると論じた。
著者
上橋 菜穂子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.583-601, 2021 (Released:2021-07-06)
参考文献数
25

本稿は、自らの物語執筆の過程をふり返り、文化人類学を学んできたことが、物語執筆と、どのように関わっているかを明らかにしようと試みたものである。 文化人類学と出会い、学び続けてきたことは、物語執筆に大きな影響を与えているはずだが、私はこれまで、そのことを、きちんと考えてみたことはなかった。学会賞をいただいたことを機に、初めて、真剣に自らの物語執筆と文化人類学の関係を考えてみたのだが、自分の思考の流れを追う作業は、近づくと消える逃げ水を追うようなもので、明らかにできなかった部分も多い。私にとって物語は「生み出すもの」であると同時に「生まれてくる」ものでもあり、執筆の過程には意識して行っている部分だけでなく、「自分の脳がなぜこういう動き方をしているのかわからない」と感じる部分が含まれているからである。 ただ、物語が生まれるきっかけとなる「いきなり頭に浮かぶ映像」が、実際の執筆に結びつくのは、特殊な「連想」が生じたときであり、火がついたように一瞬で広がっていくその「連想」には、私が文化人類学を学び、フィールドワークをしてきたことが深く関わっていることが見えてきた。人間の脳が物語を生み出す、ある意味普遍的な創作の過程に、個人の経験がどのように関わるか、わずかでも明らかにできているようなら幸せである。
著者
間宮 郁子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.306-318, 2012-09-30

Japan has more in-patient days than any other country, as well as the highest number of beds in mental hospitals as a ratio of the total population. People with mental disorders used to be hidden away under the law, either in the medical or welfare system, and suffered from a social stigma. In recent years, however, mental patients have left such isolated medical institutions and started to live among the general community, not as psychiatric patients but as persons whose will is respected and who can get social-welfare support. As that drastic paradigm shift happened rapidly, Japanese institutions for persons with mental illness have come to design various support systems in response. This paper describes the experiences of several schizophrenic persons who utilize a social welfare facility in Hokkaido: Bethel's House in Urakawa, which has developed unique ideas about dealing with schizophrenic symptoms. The members of Bethel's House diagnose their own symptoms on their own terms, and are able to study their physical conditions, sensuous feelings, and mental worlds through their own experiences of living in the community. They carry out that work studies with friends - the other members of Bethel's House - and develop and train skills for communication with their friends and the rest of the real world. The paper looks at the case of a woman at Bethel's House who had difficulty holding down a job because of voices she heard and hallucinatory delusions she saw. She only realized that the voices and hallucinations might be coming from her own mind after talking with the other members of the house. Although she suffered from the voices, she gradually gained skills to communicate with her "friends." The staff members of Bethel's House did not try to ignore the voices, but instead were told to greet them (the "friends" were just the voices that she had heard). The staff members also urged her to try to experiencing talking with her friends using those greetings. Through such daily communications, schizophrenic persons at Bethel's House, such as this woman, learn to have specific physical experiences using their own words, thereby constructing practical communities. We also found that medical institutions and welfare facilities in Japan have kept away schizophrenic experiences, having removed patients from the community in the context of psychiatric treatment, responsible individuals, and human rights. In contrast, Bethel's House lets schizophrenic persons live with their voices and hallucinations, meaning that they live in a continuous world that includes both the hospital and the outside world. On the other hand, some residents in Urakawa Town wanted to exclude Bethel's House from the community because they felt it was accommodating "irresponsible" or "suspicious" persons, or subsidizing non-working people with public monies from the town budget. Although individual daily contact was maintained between Urakawa residents and the members of Bethel's House, those exclusionary attitudes against social institutions meant that Bethel's House has come to function as an asylum for schizophrenic people in such situations, increasing the feeling of isolation in schizophrenic persons' lives, both internally and externally.
著者
久保 明教
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.4, pp.518-539, 2007-03-31 (Released:2017-08-28)

1999年に販売が開始されたエンターテインメント・ロボット「アイボ」は、生活空間において人々の間近で動作する初めてのロボットとして多くの注目を浴びた。本稿では、アイボの開発と受容の過程を横断的に検討し、テクノロジーにおける科学的側面と文化的側面がいかなる関係を取り結ぶかについて考察する。科学およびテクノロジーを社会的ないし文化的事象として捉える研究は近年盛んになされてきたが、その多次元的な性質ゆえにテクノロジーを包括的に考察することには困難が伴う。本稿では、アイボという技術的人工物が科学的知識、工学的製作、日常的実践等の接点となっていることに注目し、異なる領域に属する諸要素が接続される様々な局面を分析することで、境界横断的なテクノロジーの動態を捉えることを試みる。そこで明らかになるのは、開発と受容の過程において、科学的要素と文化的要素が組み合わされる中でアイボの有様が方向づけられていったことである。開発過程においては、人工知能研究およびロボット工学上の成果である設計手法を基盤にしながらも、ロボットをめぐる人々の想像力に基づいた語りを工学的装置へと翻訳することによってアイボがデザインされていった。一方、受容過程においては、アイボ・オーナーの生活する空間に特有の日常的な事物の有様とアイボの機能システムの作動が結びつくなかで、アイボの動作が様々な形で解釈されるようになり、開発者の想定を超える意味をアイボは獲得していった。筆者は、開発者による工学的デザインとアイボ・オーナーによる解釈が科学的要素と文化的要素を組み合わせることで妥当性を生み出す営為であったと分析した上で、実在と意味を媒介するテクノロジーの働きにおいて科学と文化の相互作用が捉えられることを示した。
著者
深田 淳太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.391-404, 2006-12-31 (Released:2017-08-28)

The Tolai people in the province of East New Britain, Papua New Guinea, have long used a form of shell money called tabu. They use that indigenous currency for various purposes: as "bride price," as a valuable shown and distributed in rituals, and as a medium of commercial exchange. These days, the provincial government is planning to recognize the tabu as the second legal tender in the province alongside the kina, which is the legal tender for all of Papua New Guinea. In this article, I will consider how these two currencies coexist and relate to each other, especially as media of exchange. Analyzing several practical cases of transactions, I will show that the relation between the two currencies falls into three patterns, as follows: (1) The two currencies are used for discrete transactions that differ in terms of the goods exchanged, as well as the situation, and so on. For example, only the tabu can be used as payment for initiation ceremonies into a secret society, and only the kina can be used in stores in town. They form different spheres of exchange that are exclusive to each other and have their own intrinsic value. (2) Either of the two currencies may be used for transactions that deal with the same goods in the same situation. In such transaction, both the tabu and the kina form a common standard of value via a fixed exchange rate. For example, in small village stores, various goods are valued under this single standard and are sold in both currencies. And these days, one can pay taxes, court fines and other fees at the government office using either of the currencies. (3) Besides pattern (2), this pattern involves the use of both currencies for the same kind of transactions, without necessarily maintaining a common value standard between the two. The use of both currencies takes place in an incoherent fashion for the exchange of exactly the same goods in the same situation. Transactions of this kind are typically seen by small vendors who deal in snacks and small goods used after a funeral. Patterns (1) and (2) can be understood as a single model, in which the tabu and kina keep their own separate spheres of exchange while maintaining an overlapping common area in each of their peripheries. In that common area, the two currencies are used together for various transactions under a fixed standard of value. But, at the same time, transactions according to those patterns keep the clear distinction between the two spheres of exchange. Meanwhile, this single model does not include the other pattern, pattern (3), in which the tabu and kina are used for similar transactions without having a common standard of value. That means that the two currencies can coexist and be used together, albeit incoherently, without adjusting the value through an exchange rate. As described above, the model that integrates patterns (1) and (2) is not consistent with pattern (3). But that is never an either-or situation. The relation between the tabu and kina in Tolai society is what allows these three inconsistent patterns to exist simultaneously.
著者
内山田 康
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.158-179, 2008-09-30 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
1

アルフレッド・ジェルは、美学的な芸術の人類学の方法は行き止まりに突き当たると言った。それはどのような行き止まりだったのか。この行き止まりを超えることはどのようにして可能だとジェルは考えていたのか。このような疑問に突き動かされて本稿は書かれている。ジェルのArt&Agency(以下AA)を批判したロバート・レイトンは、ジェルが芸術の人類学を議論する時、文化や視覚コミュニケーションを重要視しない点を批判した。もしも見直す時間が残っていたら、ジェルは、このような点を書き改めたに違いないとレイトンは言う。レイトンはジェルの作品全体の中にAAを位置づけなかったから、このような仮定が立てられたのだろう。私はAAをジェルのより大きな作品群の中に位置づけなおして、ジェルの芸術の人類学が前提とした認識論へ接近しつつ、その芸術の人類学で重要な役割を果たした再帰的経路の働きと、図式の転移について考察する。
著者
木村 秀雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.383-401, 2007-12-31 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
4

人類学は非常に厳しい環境の中にある。厳しい批評を受けて、民族誌という作品を書く力が減衰してしまっている。そのような状況の中で、批評が新しい民族誌の新しい方向性を切り開き、そこから生まれた新たな民族誌が再び新たな批評を生み出すという循環が成り立たなくなっているのだ。現在の世界を取り巻く状況を、世界無形文化遺産、特にボリビアの先住民であるカリャワヤを題材にして論じていく。そこから引き出せることは、世界無形文化遺産の制定は、危機にさらされた文化の保護を目的にしていて、そこで行われる活動は国際協力と似た性格を持つこと、職業的人類学者の書く民族誌は著作権を手放さない限り、究極的には人類学者の商売の道具であること、現地社会に調査の成果を還元するためには、無名の民族誌制作者として働くボランティアという立場もあるということである。そして最後に、複雑さをます世界の中で、民族誌の作成にも批評にも画一的な指針は存在しなくなっているが、そのことが逆に民族誌の自由度をますことにつながり、古いタイプの愚直な民族誌をも含め、民族誌の可能性は広がっていることが論じられる。
著者
吉田 ゆか子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.11-32, 2011-06-30

モノやモノと人の関わりに注目する人類学では、人とモノの関係を主体-客体と位置づける一元的な視点に疑問を呈してきた。一方、仮面劇の世界では、演者は仮面というモノに導かれながら自分ではない何者かになろうとし、そこでは自己-他者(仮面)、人-モノ、主体-客体といった対立は常に揺るがされる。本論では、バリ島の仮面舞踊劇トペンに注目する。トペン上演を、具体的な人とモノとの相互作用によってたちあがるアッサンブラージュと位置づけその特徴を指摘し、またその中で演者と仮面の主-客の関係がどのように撹乱されるのかを考察する。くわえて仮面の物としての多様な性質(=物性)が、そのアッサンブラージュにいかに作用するのかを考察する。台本も大掛かりな舞台装置もなく即興的に演じられるトペンは、演者、仮面、伴奏楽器、伴奏者、観客が集うことから上演がたちあがる。先行研究によれば、上演中の演者は仮面を操りつつ仮面に操られるという二重の意識を有する。しかし、演技のモードによって、演者は仮面と一体化するよりも、むしろ仮面の物性を暴露するなど、両者の関係性は可変的である。また伴奏者や伴奏音楽との駆け引きや、移り気な観客たちの態度によって、仮面と演者のみならず、その他の人やモノの間の関係性もダイナミックに変化する。ここに発生的で移ろいやすく、脆さをも含むトペン上演というアッサンブラージュの特徴をみてとれる。本論では、その中で仮面が物理的に演者の身体に作用することや、不動で命なきモノであるという仮面の物性が、トペンの多様な表現と実践を生むことなどを指摘する。加えて、一定時間存在し続けるという物性をもつ仮面は、演技後も演者宅に持ち帰られて人々と関わる。この長期的に維持される仮面と人々とのもう一つのアッサンブラージュが、トペン上演というアッサンブラージュといかなる関係にあるのかを考察する。
著者
松田 ヒロ子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.4, pp.549-568, 2016 (Released:2017-02-28)
参考文献数
54

1945年8月に日本が無条件降伏した際、台湾には約3万人の沖縄系日本人移民(沖縄県出身かあるいは出身者の子孫)がいたといわれている。そのなかには、1895年に日本が植民地化して以来、就職や進学等のために台湾に移住してきた人びととその家族や親族、戦時中に疎開目的で台湾にきた人びとや、日本軍人・軍属として台湾で戦争を迎えた沖縄県出身者が含まれる。本稿はこれらの人びとの戦後引揚げを「帰還移民」として捉え、その帰還経験の実態を明らかにする。沖縄系移民は日本植民地期には日本人コミュニティに同化して生活し、エスニックな共同体は大きな意味を持っていなかった。にもかかわらず、米軍統治下沖縄に引揚げの見通しが立たないまま、台湾で難民状態におかれた沖縄系移民らは、はじめて職業や地域を超えて全島的な互助団体「沖縄同郷会連合会」を結成した。中華民国政府からは「日僑」とよばれた日本人移民らは、原則 として日本本土に引揚げなくてはならなかったが、米軍統治下沖縄への帰還を希望した人びとは、 沖縄同郷会連合会によって「琉僑」と認定されることによって引揚げまで台湾に滞在することが特別に許可された。すなわち、帝国が崩壊し引揚げ先を選択することが迫られたときに、それまで日本人移民コミュニティに同化して生活していた人びとにとって「沖縄(琉球)」というアイデンティティが極めて重要な意味を持ったのである。しかしながら、「琉僑」として引揚げた人びとが須らく米軍統治下沖縄社会を「故郷」と認識し、また既存の住民に同郷人として受け入れられたわけではなかった。とりわけ台湾で幼少期を過ごして成長した引揚者たちは、異なる環境に適応するのに苦労を感じることが多かった。また、たとえ自分自身は沖縄社会に愛着と帰属意識を持っていたとしても、台湾引揚者は「悲惨な戦争体験をしていない人」と見なされ、「戦後」沖縄社会の「他者」として定着していったのである。
著者
森田 敦郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.33-52, 2011

本論文では、19世紀フランスの社会学者ガブリエル・タルドに着想を得た「モノ」への新しいアプローチを構想を試みる。近年、タルドへの関心が人類学で復活しつつある。この関心は、人間の行為の所与の条件となる単一の「自然」と、人間の創造的行為の産物である多数の「文化」の二項対立という従来の枠組みを乗り越える方法を模索する中から生まれてきた。そこで暗示されているのはモノについての言説ではなく、その構成そのものに焦点を当てた人類学の可能性である。本論文では、「相互所有」というモノ相互の特異な関係に注目したタルドの現代的な意味を確認した後、タイにもたらされた日本製の農業機械の事例を取り上げて、モノの内側にどのような関係が取り込まれており、それが移動の過程をへていかにして展開するのかを考察する。この事例では、設計の段階で機械に刻み込まれた日本の環境との関係が、タイの環境との不適応をとおして人々の前に浮かび上がってきた。このようにモノがその内に含み込んだ潜在的な関係を顕在化するプロセスを考察することは、人類学の鍵概念である比較や文脈といった概念に新しい角度から光を当てることでもある。
著者
奥野 克巳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.4, pp.417-438, 2012

マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)の狩猟民・プナン社会において、人は「身体」「魂」「名前」という三つの要素から構成されるが、他方で、それらは、人以外の諸存在を構成する要素ともなっている。人以外の諸存在は、それらの三つの要素によって、どのように構成され、人と人以外の諸存在はどのように関係づけられるのだろうか。その記述考察が、本稿の主題である。「乳児」には、身体と魂があるものの、まだ名前がない。生後しばらくしてから、個人名が授けられて「人」と成った後、人は、個人名、様々な親名(テクノニム)、様々な喪名で呼ばれるようになる。その意味において、身体、魂、名前が完備された存在が人なのである。人は死ぬと、身体と名前を失い、「死者」は魂だけの存在と成る。これに対して、身体を持たない「神霊」には魂があるが、名前があるものもいれば、ないものもいる。「動物」は、身体と魂に加えて、種の名前を持つ。「イヌ」は、イヌの固有名とともに身体と魂を持つ、人に近い存在である。本稿で取り上げた諸存在はすべて魂を持つことによって、内面的に連続する一方で、身体と名前は多様なかたちで、諸存在の組成に関わっている。諸存在とは、身体と魂と名前という要素構成の変化のなかでの存在の様態を示している。言い換えれば、諸存在は、時間や対他との関係において生成し、変化するものとして理解されなければならない。人類学は、これまで、精神と物質、人間と動物、主体と客体という区切りに基づく自然と社会の二元論を手がかりとして、研究対象の社会を理解しようとしてきた一方で、複数の存在論の可能性については認めてこなかった。そうした問題に挑戦し、研究対象の社会の存在論について論じることが、今日の人類学の新たな課題である。本稿では、身体、魂、名前という要素の内容および構成をずらしながら諸存在が生み出されるという、プナン社会における存在論のあり方が示される。
著者
谷 憲一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.417-428, 2015-03-31 (Released:2017-04-03)

The aim of this paper is to shed light on a new approach to examining the Islamic revival in modern societies. This approach is often articulated by means of what I identify as the "critiques of secularism," insofar as it encompasses a wide range of criticism for secular societies. The Islamic revival has attracted the attention of many social scientists, since it contradicts the idea that modernization is accompanied by secularization. Some scholars make sense of the Islamic revival by studying the rise and growth of certain elements of modernity in Islamic societies. In the process, they tend to engage in the 'objectification of Islam' and thereupon establish some kind of relationship between the simultaneous historical processes of modernity and Islamic revival. Their approaches open a line of inquiry for comparative research, often pursued as a form of "multiple modernities." In contrast, the "critiques of secularism" approach reveals the problems of the "multiple modernities" theory, and inquires other aspects of Islamic revival through the West/Islam binary. Asad and his followers inquire into the problem of why we tend to see Islamic revival as a strange political development. Asad argued that in trying to define religion and its difference with other realms of religious societies, one is not only engaging in a theoretical question, but also simultaneously grappling with the political agenda of 'secularism,' eventually marking out a conceptual distinction between politics and religion. Secularism as an ideal concept often determines an anthropologist's work, so we must conspicuously describe how Islam is a mix of religion and otherwise related sociopolitical realms. In an interesting way, therefore, they problematize the asymmetry inherent in the binary of the West (as liberal secularism) and Islam, and by juxtaposing the West and Islam, criticize Western assumptions about liberalism and secularism. As a remedy to the incongruent binary, they use two distinct concepts for comparing Islam with the West symmetrically: Islamic discursive traditions and their practices of self-cultivation are contrasted with the beliefs and practices of secularism. Thus, their conceptual apparatus, which is inclusive of diverse beliefs and practices, urges us to rethink our assumptions about modern liberal secularism as well as about Islam. Mahmood and Hirschkind also admit that modern developments of Islamic revival in Cairo can be comprehended only by ethnographically describing specific aspects of pious Muslims' everyday activities. The critiques of secularism proffer a novel approach to exploring the phenomenon of modern Islamic revival movements. That is a major contribution to the disciplines of anthropology and Islamic studies, which we must appreciate appropriately to harness deep insights into modern societies. At the same time, one must not disregard how such ethnographies may be criticized by other intellectual perspectives. In other words, we must recognize what may become invisible in the wake of new insights, while committing coherently to various critiques of secularism and the attendant binary.
著者
深田 淳太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.4, pp.535-559, 2009-03-31 (Released:2017-08-21)

パプアニューギニア、トーライ社会ではタブと呼ばれる貝殻貨幣が、婚資の支払いから秘密結社の加入の手続、役所での税金の支払いまで広い用途で用いられている。このように貨幣がなんらかの意味を持ち、その意味を様々に変え、また実効的な役割を果たすということはいったいどのような事態として考えられるだろうか。本稿では、貨幣やそれを用いた実践が特定の意味を持つことを、それが何であるのかが周囲の人々から見て分かり、説明(アカウント)できることと捉えるエスノメソドロジーの視点を採用する。ここで問うべきは、そのようなアカウンタブルな事態がいかにして出来上がっているのかということである。この問いを具体的に考えていくための事例としてトーライ社会の葬式を取りあげる。葬式においてトーライの人々はタブを用いて、死者への弔意を表し、自らの豊かさを誇示し、他の親族集団と良好な関係を築くなど様々なことを行なう。周囲から見て、個々のタブ使用実践がこれらの様々な意味や効果を持つものと分かるのは、それがなんらかの秩序だったコンテクストの中に位置付けられることによってである。だが同時に、そのようなコンテクストは個々の実践を通して可視化され生成されるものでもある。本稿では葬式におけるタブ使用実践が、そのときどきのコンテクストに沿った適切なやり方でなされながら、同時に周囲の様々な要素との関係の中で当のコンテクストを生成していく相互反照的な生成の過程を記述し、その過程から貝貨タブが具体的な意味や効果を持つものとして可視化されてくる様子を明らかにする。
著者
赤澤 威
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.517-540, 2010-03-31

アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した。この結末については考古資料、化石、遺伝子の世界で明示できるが、なぜ新人に軍配が上がったのか、両者の間には一体何があったのか、何が両者の命運を分けたのか、誰もまだ答えをもたない。このネアンデルタール絶滅説の検証に取り組み、数々の成果を挙げたのが"Cambridge Stage 3 Project"(T.H.van ANDEL&W.DAVIES eds.2003 Neanderthals and modern humans in the European landscape during the last glaciation)である。Stage3とは6万年前から2万年前のこと、ヨーロッパ大陸は最後の氷期に当たり、同時にクロマニョンの入植そしてネアンデルタールの絶滅という直近の交替劇の起こった時代である。本プロジェクトは、交替期の気候変動パタンとそれに対するネアンデルタールとクロマニョン両者の適応行動の違いをみごとに復元した。この研究によって交替劇の存在を裏付けるデータは着実に蓄積され、交替劇がいつ、どこで、どのような経過をたどって進行したか、少なくともヨーロッパ大陸を舞台とする交替劇に関する記述的部分は具体化され、交替期における旧人社会と新人社会の間の相互作用の概略が見えてきた。本稿は、同プロジェクトの成果を参考にしながら、ヨーロッパ大陸を舞台にして、両者はいつ、どこで、どのような経緯をたどって交替していったか、その概略を述べ、そこから交替期の時代状況に対して両者の採った適応行動の違いを考察し、交替劇の原因に迫ってみたものである。