- 著者
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塚田 花恵
- 出版者
- 日本音楽学会
- 雑誌
- 音楽学
- 巻号頁・発行日
- vol.61, no.2, pp.65-78, 2016
普仏戦争後のフランスの音楽史研究は、文化的アイデンティティの模索と隣り合わせに発展したものであった。本論文の目的は、ジュール・コンバリューが著した『音楽の起源から今日にいたる歴史』(1913〜1919、以下『音楽史』)における音楽の進歩のナラティヴを検討することによって、1910年代のフランスにおける音楽史叙述のあり様の一端を、詳らかにすることである。 共和派であったコンバリューは『音楽史』において、音楽が中世・ルネサンスにおける宗教からの解放とフランス革命による王政からの解放を経て、19世紀フランスという時代に到達するという進歩の流れを示した。『音楽史』で描かれる交響曲とオペラのジャンルの進歩は、いずれもフランスがその舞台として設定され、ベルリオーズが重要な位置に置かれている。それによってコンバリューは、ドイツの巨匠を含みつつ、フランスを中心に据えたヨーロッパ音楽史を創出するのである。 しかし彼は『音楽史』において、ベルリオーズよりもベートーヴェンやワーグナーにより多くの紙幅を割いている。これは、かつて熱狂的なワグネリアンであった彼個人の音楽嗜好と、第一次世界大戦中のフランスにおけるドイツ音楽受容の状況との衝突によるものであろう。ベルリオーズの音楽には、1880年代以降、ワグネリスムの侵入に対する防波堤としての役割が期待されていた。学術的な形でベルリオーズに重要な歴史的位置づけを与えるコンバリューの音楽通史は、普仏戦争後に起こったこの作曲家のカノン化を推し進めるものであったと考えられる。共和国フランスをベルリオーズに代表させ、ワーグナーに対するアンビヴァレントな評価を示す『音楽史』の進歩のナラティヴには、1870年以降にアイデンティティの政治と関連して発展したこのディシプリンの、約半世紀の歴史の反映を見ることができる。