- 著者
-
田代 雅彦
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2015, 2015
<br><br><b>1.はじめに</b><br><br>福岡は、札幌、仙台、広島とともに地方圏での広域中心都市(地方中枢都市)に位置づけられている。バブル経済崩壊後、日本経済が長期の低迷にあえぐ中で、福岡は国内でも相対的に“元気な”都市と言われ、発展を続けた結果、最近ではいわゆる「札仙広福」から一歩抜けだし、一部の事象では東京、大阪、名古屋という三大都市に迫る勢いを見せている。<br><br>本研究では、福岡の1990年以降の動向について、人口のみならず産業、交通、アジアとの関係、コンベンション、イベントなど多方面のデータより分析し、広域中心都市・福岡の発展要因について分析する。<br><br> <br><br><b>2.</b><b>九州の中枢都市として発展する福岡</b><br><br>福岡の発展要因の1つは、九州という背後圏の存在である。九州は、北海道や東北、中四国など他の地方圏と比較して、人口規模の大きな県都クラスの都市が、域内に分散的に位置している。九州では1990年代に、7つの県都が高速道路で結ばれ「九州クロスハイウェイ」が完成、2000年代には九州新幹線が完成した。福岡に本社を置く西鉄バスやJR九州は福岡を中心とするネットワークを整備、両者が競合することで利便性が高まった。結果、地方圏では規模の大きな九州が、1つのマーケットとして機能するようになり、その中心都市として福岡が発展することとなった。<br><br>福岡は、大都市圏に流出する若者を九州域内にとどめる「ダム効果」を果たし、学生や若い女性が多く若者へのサービス集積がさらに若者を呼び込む好循環を形成している。<br><br> <br><br><b>3.</b><b>アジアとともに発展する福岡</b><br><br>2つにはアジアとの近さと連動した発展である。福岡市は1989年にアジア太平洋博覧会「よかトピア」を開催し、アジアとともに発展する方向性を打ち出した。当時アジアとの連動は希薄だったが、東アジアが急速な経済成長を遂げる中で、福岡空港の国際線ネットワークは充実、博多港の国際港湾化も進み、交通結節点や各種都市機能がコンパクトに整備された福岡はアジアの玄関となっていった。<br><br>また、アジアなど国際市場をターゲットにした自動車産業をはじめとする大企業の主力工場が、九州各地に相次いで立地・拡大し、九州経済はアジアとの連動性を高めていった。同時に豊かになったアジアからの入込も増加した。九州がアジアと連動して発展した結果、九州の中枢都市である福岡も国際都市として発展した。<br><br><b> </b><br><br><b>4.福岡は“日本の第4の大都市圏”へ</b><br><br> 福岡は、東京や大阪、京都などとともに各種の世界都市ランキングに登場することが増え、世界的にも国際都市として認知されるようになった。このランキングには札幌、仙台、広島はもちろん名古屋でさえ登場は稀である。<br><br>この福岡の発展は、交流人口に支えられている。国際コンベンション開催件数は東京に次いで2位。2003年には日本医学会総会が三大都市圏以外では初めて福岡で開催された。著名アーティストの公演(ライブ)でも、札幌、仙台、広島を大きく引き離し、名古屋に迫る勢いである。<br><br> 福岡は、三大都市圏とは異なるコンパクトさが特色であり、人口減少社会に向かう日本において、新しい大都市のモデルとなることが期待されている。