- 著者
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清水 克志
- 出版者
- 公益社団法人 日本地理学会
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- vol.2017, 2017
<b>1.はじめに<br></b> ハクサイは明治前期に中国から日本へ導入された外来野菜である.一般に外来野菜は,「農商務省統計表」に記載が始まる明治後期以前における普及状況の把握が容易ではない.さらにハクサイに限って言えば,①欧米諸国から導入された「西洋野菜」と比較して導入政策が消極的であったことに加え,②明治後期以降も1941(昭和16)年に至るまで,統計では在来ツケナ類などとともに「漬菜」として一括集計されていたことなどにより,普及の概略を掴むことさえ難しい. 本報告では,ハクサイの普及状況について,量的把握が困難な事情を踏まえ,大正期を中心とした近代における『大日本農会報』や『日本園芸雑誌』,『主婦之友』などの雑誌類,栽培技術書などの記述を主たる分析対象とし,当時におけるハクサイ需要の高まりと種子の供給状況を突き合わせることを通して,明らかにすることを目的とする.<br><b>2.普及阻害要因としての「交雑」問題<br></b>明治前期には,政府によって山東系のハクサイ品種の導入が試みられたものの,それは内務省勧業寮と愛知県に限定されていた.ハクサイを結球させることが困難であったため,内務省では試作栽培を断念し,唯一試作栽培を継続した愛知県においても結球が完全なハクサイの種子を採種するまでに約10年の歳月を要した.結球種のハクサイは,「脆軟」で「美味」なものと認識されながらも,明治前期時点における栽培技術水準では「交雑」問題が阻害要因となり,栽培は困難とされ,広く周知されるまでには至らなかった.そしてこの時点では,結球種のハクサイよりもむしろ,栽培や採種が容易な非結球種の山東菜がいち早く周知され,三河島菜などの在来ツケナより優れた品質のツケナとして局地的に普及していった. 日清戦争に出征した軍人が,中国大陸においてハクサイを実際に見たり食べたりしたことを契機として,茨城県,宮城県などで芝罘種の種子が導入されたが,この時点でも「交雑」問題によって,ハクサイの栽培は困難な状況が続いた.日露戦争後の関東州の領有によって,中国や朝鮮にハクサイ種子を採種し日本へ輸出販売する専門業者が成立したため,購入種子によるハクサイの栽培が可能となった.しかしながら,輸入種子が高価であることや粗悪品を販売する悪徳業者の多発など,新たな問題が生じた.<br><b>3.大正期におけるハクサイ需要の高まり<br></b> 大正期に入ると,香川喜六の『結球白菜』(1914年;福岡),矢澤泰助の『結球白菜之増収法』(1916年;千葉),川村九淵の『学理実験結球白菜栽培秘訣』(1918年;東京)など,ハクサイの有用性を説き栽培を奨励する栽培技術書が相次いで刊行された.これら栽培技術書では,①ハクサイの「結球性」に起因する食味の良さと軟白さ,多収性と貯蔵性,寄生虫の害からの安全性などが高く評価されていたことに加え,②純良な種子を吟味して入手することが必要不可欠な条件であること,の2点に著述の力点が置かれていたことが読み取れる. 一方,『大日本農会報』には,1918(大正7)年以降,種苗業者による結球ハクサイ種子の広告の掲載が確認できるようになる.野菜類全般の種子を対象とする業者の広告は明治期からみられ,その中にハクサイが含まれるものも散見されたが,大正期に入ってハクサイ種子専門の業者が登場してくる事実は,ハクサイ種子に対する需要の高さと採種に求められる専門技術の高さを示すものであろう.また種子の価格を比較すると,結球種が半結球種や非結球種に比べ非常に高価であったことも確認できる.<br> <b>4.育採種技術の確立とハクサイ生産の進展</b> <br>大正期も後半になると,ハクサイ栽培に対する需要を背景に,日本国内でハクサイの育採種が試みられ,宮城県や愛知県を中心に各地で国産品種が育成された.その担い手の多くは一般的な篤農家ではなく,より専門的な知識や技術,設備を備えた種苗業者や公的機関であった. 「交雑」という阻害要因が解消され,ハクサイ生産の前提となる種子の供給体制が整ったことにより,昭和戦前期には国産品種の育成地を中心に,ハクサイ産地の成立が急速に進んだ.都市大衆層の主婦を主たる購読者層とする『主婦之友』に,ハクサイ料理に関する記事が初見されるのは1922(大正11)年である.このことは,東京市場において宮城などの産地からハクサイの入荷が本格化する1924年とほぼ時期を同じくして,料理記事が登場していることを意味している.調理法の記事数をみると煮物や汁の実,鍋物などの日常的な家庭料理の惣菜の割合が高い.漬物材料として所与の需要があったハクサイは,同時期の都市大衆層の形成とも連動しつつ,その食生活の中に急速に浸透していったことが指摘できる.