著者
大貫 俊彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.9, pp.29-39, 2011

<p>村上浪六の『三日月』(明二四)は従来大衆小説の一ジャンル「撥髪小説(ばちびんしょうせつ)」の嚆矢として捉えられ、批評家内田不知庵(うちだふちあん)がその文学的価値を当初から否定した人物として位置づけられてきた。本稿は、『三日月』を論じた不知庵の評論を「詩(ポーエトリイ)」の観点から捉え直すことで、不知庵が浪六の登場時、『三日月』に同時代の文学観を刷新する「小説」の可能性とそれを妨げかねない可能性をともに見出していたことを論じた。</p>

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (3 users, 4 posts, 0 favorites)

こんな論文どうですか? 「三日月」に見出す〈詩〉の材:—明治二四年、内田不知庵が村上浪六の登場に見た「小説」の可能性と危惧—(大貫 俊彦),2011 https://t.co/srDxiS5qc7 <p>村上浪六の『三日月』(明二四)は従来大衆小説…
こんな論文どうですか? 「三日月」に見出す〈詩〉の材:—明治二四年、内田不知庵が村上浪六の登場に見た「小説」の可能性と危惧—(大貫 俊彦),2011 https://t.co/srDxiS4Smz <p>村上浪六の『三日月』(明二四)は従来大衆小説…
大貫俊彦「「三日月」に見出す〈詩〉の材:—明治二四年、内田不知庵が村上浪六の登場に見た「小説」の可能性と危惧—」『日本文学』60(9)、2011年。https://t.co/I7x98jazUs

収集済み URL リスト