著者
三田 順
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-15, 2017

<p> 本論ではベルギー出身の象徴主義詩人ポール・ジェラルディー(Paul Gérardy, 1871-1933)を取り上げ、多文化、多言語の狭間で生きたこの作家のアイデンティティーの所在を探ると共に、同時代のベルギー象徴主義運動との関わりを考察した。現在ベルギー王国の公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語の三カ国語となっているが、今日ドイツ語圏となっている地域がベルギーに編入されたのは第一次世界大戦後のことで、ジェラルディーの生地マルディンゲンは当時プロイセン帝国領であった。その後孤児となり、ベルギー南部ワロニーの中心都市リエージュで育ったジェラルディーは、まずフランス語作家として当時ベルギーで盛り上がりを見せていた象徴主義の影響下で詩作を開始するが、当初からドイツ語による詩作の意志を有しており、シュテファン・ゲオルゲとの出会いを機にドイツ語詩の取り組みを本格的に開始する。独仏両言語で執筆したジェラルディーは「ベルギー・ドイツ語文学」の先駆的作家としても見なし得る興味深い考察対象であるものの、ベルギー・フランス語文学史において長く忘却された作家であった。</p><p> アルベール・モッケルによってフランスからベルギー文壇にもたらされた象徴主義の薫香を受けたフランス語詩人として出発し、当初、モッケルが同時に主張した「ワロニー主義」への素朴な共感を示していた彼のアイデンティティーは、ドイツ語詩の試みと断念、後の風刺作品におけるベルギー批判に見られる様に、一時的な揺らぎは認められながらも終生ベルギーから離れることはなかった。ジェラルディー自身は、その詩作品において、モッケルの主張したワロニー主義や、ブリュッセルのヴラーンデレン系フランス語作家の主張したゲルマンとラテンの混合物としてのベルギー性を直接的に表現することはなかったが、モーリス・マーテルランクを始めとするベルギー象徴派詩人達と同じくドイツに文学的霊感源を認め、ドイツ語の放棄と共に詩作自体からも離れたジェラルディーは、象徴主義詩人として「北方の想像力」に多くを負っていた点で、「ゲルマン」という北方性をアイデンティティーの核に据えていたベルギー象徴派の特質を共有していたといえるであろう。</p>

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CiNii 論文 -  境界地の作家ポール・ジェラルディーとドイツ語詩 https://t.co/Sicperf2Fw #CiNii

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