著者
加藤 英一
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.111-131, 2010-03-31 (Released:2017-09-29)

2009年、 ⌈ 臓器移植に関する法律⌋の改正案が国会において採決された。日本共産党を除いた 各政党は、改正案の特性から投票に際して党議拘束を外した。投票の結果、原案通りに改正案は 成立した。これによって日本では、法的に脳死が人の死として認められることになった。衆・参両議院での投票行動は、党議拘束を外したにも拘らず、政党による影響を否定できない結果となった。それは1997年の ⌈ 臓器の移植に関する法律⌋が可決された際と同じである。これは R.K.マートンの準拠枠組みの理論によって、ある程度は説明が可能である。しかし今回の法改正における投票行動では、それ以外の要因である、衆・参議院のねじれ状態や小泉チルドレンの影響をも考慮しなければならない。
著者
安藤 康行
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.117-131, 2013-03-31 (Released:2017-09-09)

国土地理院の旧版地形図には , 過去の土地の履歴が時系列的かつ詳細な記録として残されている。そこで , 年代の違う数種の旧版地形図を用いて , 相模原キャンパスがある相模野台地の自然地理学的な環境および歴史的変遷を , 台地の微地形に着目しつつ , 相模原の時代背景とともに概観した。その結果 , 相模野台地における乏水性台地がもつ地形学的な素地と , 戦時下における軍都化という歴史的背景の上に , 相模原が近郊都市として近年急速に発展してきたことを見て取ることができた。
著者
志柿 浩一郎 クリスティン ウインスカウスキー
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.61-85, 2021

本論文の目的は、1920年代の第一波フェミニズム運動と1960年代の第二波フェミニズム運動の間に、女性の社会進出に対する人々の意識やジェンダー観を変えた、小さな社会変革があったことを示すことである。また、本稿では、第一波と第二波フェミニズム運動という見方あるいは歴史的括りが、より顕著な社会改善にもつながった重要な史実を覆い隠している可能性があることを3つのケースを取り上げて検証した。特に、アメリカン・コミックのワンダーウーマンの創作背景、FCCにおけるフリーダ・ヘノックの仕事、および1940年代から50年代にかけて起きた大衆文化や消費者文化を巻き込んだマッカーデルの服飾デザインの、3つのサンプルケースを用いて実証した。これらの事例を振り返ってみると、第一波や第二波の間に起きていた小さな変革がフェミニズム運動の一端を担っていた。ワンダーウーマンの歴史背景やフリーダ・ヘノックの市民活動、マッカーデルの事例などは、フェミニストやマイノリティの活動と直接結びつくことは難しいかもしれない。なぜなら、これらの事例は、大きな変化をもたらしたり、他の非政治的な手段で人権を獲得したりするような政治的な運動に直接関係するものではなかったからである。しかしながら、これらの事例とその歴史を俯瞰すると、これらの事例は、大衆文化や消費者文化に影響を与えた、ローカルあるいは専門的な領域で活動している個人による小さな社会運動であったことが明らかとなる。
著者
岡野 安洋
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2011-03-31 (Released:2017-09-29)

アルトゥール・シュニッツラーは17歳の1879年から、69歳で亡くなる1931年まで、およそ52年間にわたり、ほぼ毎日欠かすことなく日記をつけていた。その日記には、彼の音楽愛好家としての一面が色濃く滲み出ている。そこには、自分でピアノを弾いたり、あるいは演奏会に通ったりして、当時の音楽を愛するブルジョア知識人の典型的な姿が映し出されている。その中で、彼が最も愛した作曲家、グスタフ・マーラーに関する日記中の記述を年代順に追っていくことで、シュニッツラーがマーラーを愛した理由を、またどのようなマーラー像を描いていたかを考えてみたい。文学とは異なる、いわば趣味に属する分野への発言ではあるが、それは、シュニッツラーの作家として、あるいは人間としての一面を垣間見ることに繋がっていると思える。またそこには、真の芸術家同士が理解し合える、芸術家としての苦悩と、芸術に対する真摯な姿勢に対する深い共感が感じられ、シュニッツラーがマーラーに自分との「類似性」を見いだしていたことが理解できる。ここでは、シュニッツラーの日記中の音楽関連の記述を、まずは一番愛した作曲家マーラーから取り上げるが、今後は別な視点からそれを考察していくための第一歩としたい。
著者
岡野 安洋
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2011

 アルトゥール・シュニッツラーは17歳の1879年から、69歳で亡くなる1931年まで、およそ52年間にわたり、ほぼ毎日欠かすことなく日記をつけていた。その日記には、彼の音楽愛好家としての一面が色濃く滲み出ている。そこには、自分でピアノを弾いたり、あるいは演奏会に通ったりして、当時の音楽を愛するブルジョア知識人の典型的な姿が映し出されている。その中で、彼が最も愛した作曲家、グスタフ・マーラーに関する日記中の記述を年代順に追っていくことで、シュニッツラーがマーラーを愛した理由を、またどのようなマーラー像を描いていたかを考えてみたい。文学とは異なる、いわば趣味に属する分野への発言ではあるが、それは、シュニッツラーの作家として、あるいは人間としての一面を垣間見ることに繋がっていると思える。またそこには、真の芸術家同士が理解し合える、芸術家としての苦悩と、芸術に対する真摯な姿勢に対する深い共感が感じられ、シュニッツラーがマーラーに自分との「類似性」を見いだしていたことが理解できる。ここでは、シュニッツラーの日記中の音楽関連の記述を、まずは一番愛した作曲家マーラーから取り上げるが、今後は別な視点からそれを考察していくための第一歩としたい。
著者
小林 亜津子
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.27-38, 2016-03-31 (Released:2017-01-12)
参考文献数
17

本稿では、まず看護ケアにとって「家庭」がもつ固有の意味を確認したうえで、これまで家族が担ってきたプライベートなケアという役割を、看護師が家庭のなかで果たすことから生じる、訪問看護における様々な混乱について論じる。それをふまえて、こうした「混乱」を最小限にとどめ、理想的なケア実践を行うために、訪問看護師は「自律の尊重」を提唱し、患者の前では「お客(guest)に徹するべき」という規範を自らに課していることを明らかにする。さらに、この「自律の尊重」が、施設内看護の場面以上に複雑な様相を呈し、訪問看護師が患者の決定に「寄り添う」か、専門職としての権威を示すかという倫理的選択に向き合わざるを得ない場面について論じていく。そこから浮かび上がってくるのは、訪問看護とは、患者と看護師がそれぞれ「主(host)」と「客」を演じあうという独特のパワーバランスの上になりたつケア実践であり、そのことが在宅ケア特有のモラルジレンマをカモフラージュするための「戦略」となっているということである。
著者
安川 智子
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.1-20, 2018-03-31 (Released:2018-06-01)
参考文献数
26
被引用文献数
1

本稿は、19世紀における歴史主義の高まりとともに始まった古楽復興の動き(過去の音楽を再現しようという運動)が、フランスにおいて聴衆の「耳」の問題へと転換していく過程を、クロ ード・ドビュッシー(1862~1918)の時代に焦点を当てて解き明かすものである。具体的には、 18世紀フランスの作曲家ジャン=フィリップ・ラモー(1683~1764)の音楽を、ドビュッシーの時代の人々の耳がどうとらえ、いかに20世紀のピリオド楽器運動(作曲された当時の楽器や演奏習慣で音楽作品を演奏しようというスタイル)へとつながっていったのかを、当時の音楽批評から明らかにする。 アレクサンドラ・キーファーは、19世紀におけるヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(1821~1894) の功績とフランスにおけるその流行が、ドビュッシーの音楽を聴く耳を形成したことを論じているが、耳の変化は、「過去の音楽を聴こう」という努力の中でも徐々に起こっていた。本稿ではキ ーファーの論を踏まえたうえで、ドビュッシーの時代がちょうど古楽復興の転換期にあたること、さらにこの時代に音響再生産技術が急速に開発されていったことから、ドビュッシーの音楽の新しさ、古楽復興、聴覚の変化という、3つの別々の潮流が互いに交錯する20世紀初頭の音楽状況を浮き彫りにする。
著者
五所 万実 中村 文紀
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.1-20, 2020-03-30 (Released:2020-07-31)
参考文献数
33

本稿は、法領域において問題となる「商標の普通名称化(trademark genericization)」という意味変化現象について、言語学の立場から理論的考察を試みる。普通名称化とは、例えば、エスカレータや正露丸のように、もとは商標であったことばが、その商品カテゴリを指す一般名称となり、商標として機能しなくなる現象をいう。本稿では、一般的な言語現象でもある商標の普通名称化を、米国において普通名称化したと法的に判断されたエスカレータの事案を題材に、構文文法(Construction grammar)や使用依拠モデル(Usage-based model)という言語知識に関する理論モデルを用いて分析する。法学と言語学の接点を探る中で、法実務に限らず、言語学にも新たな知見をもたらす「商標言語学(Trademark Linguistics)」とも呼べる研究枠組みの可能性を探る。
著者
平井 清子
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.81-103, 2015-03-31 (Released:2017-06-23)
参考文献数
18

日本の英語教育が、ディスカッション、ディベートなどを含むコミュニケーション重視の授業 に転換してから久しいが、日本の文化的背景から、このような学習者主体の授業の実践は容易で はなく、いまだ授業では、従来の暗記型の要素が強いことが否めない。文科省では小中高を通し ての論理的・批判的思考力の養成の奨励がなされ、英語においても、詰め込み教育、受け身の教 育では果たせない、自ら考える力、論理的・批判的思考力を育み、併せて四技能に配慮した統合 的なコミュニケーション能力の育成が促進されている。同時に、これらの能力を育成することで、 英語での発信力の養成が可能となる。このための新しいアプローチとして、 「内容重視の教授法」 (Content-based Instruction:以下CBI)の授業の提案がある。CBIには「年齢相応の思考力を伴う 言語発達の必要性」を説くバイリンガリズムの観点から「言語発達には思考力と言語力の両輪が 必要である」という基本概念がある。 「仕事で英語が使える」 人材育成の出口である大学英語教育の役割はますます重要となる。 とり わけ、専門課程に入る前の初年次英語教育では、CBIのように「数学」や「生物学」などの教科の 教育と言語教育を統合した英語教育が、 「英語」 の授業や選択制の専科の授業で取り入れられるこ とが必要となってくるであろう。 本研究は、CBI発祥の地であるアメリカの高等学校CBI-ESLの授業の参与観察から、日本での 応用を、特に大学での実践を考慮し提案するものである。米国の現地校の授業の参与観察により、 以下の点が日本でCBIの授業を導入する際に提案される。1)各課ごとに「教科(内容)目標」と 「言語目標」を定め、言語指導では教科学習に必要な語彙や表現と同時に、 「学習スキル」を養成 する。2)インプットとアウトプットのバランスを考慮し、四技能を統合的に取り入れる。3)「評 価の基準(ル―ブリック) 」の効果的使用。使われる発問は、自分の答えを証拠の裏付けをしなが ら論理的に述べる本質的な質問(essential questions)であること。4)これらを協働学習を通し て行う。
著者
三田 順
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.85-102, 2016-03-31 (Released:2017-01-12)
参考文献数
8
被引用文献数
1

オーストリア文学史ではこれまでにもスロヴェニア文学におけるウィーン像が扱われてきた。マリーア・ヴェーラ・クラリツィーニは、浩瀚な著書『磁石としてのウィーン Wien als Magnet』(1996)でスロヴェニア作家イヴァン・ツァンカルとウィーンの関係を論じている。またシュテファン・ジモネク(2004)は、特にツァンカル作品におけるウィーンの公園の役割に焦点を当てた、より独創的な考察を行っている。スロヴェニアでこの問題に取り組んだ中心的研究者は当然ながらフランツェ・ベルニク(1998)である。これまでの研究ではツァンカルが主な考察対象となってきたが、本論はウィーンを描いた他の作家たちにも目を向け、スロヴェニア人のウィーン像に認められる幾つかの定数を示したい。
著者
荒尾 貞一 千葉 昌弘
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.113-134, 2014-03-31 (Released:2017-07-28)
参考文献数
16

筆者たちは、第2次世界大戦後の大学における教員養成の原理と方法の歴史的変遷と北里大学 における実際の展開について2011年以来検討してきた。その第3報である本論文は教育実習の歴 史的成立過程について検討した。 今日、文部科学省は教員養成の力点を教師の実践的指導力向上に置いている。この目的を達成 するために、教育実習の取得単位数を増やしたが、その一部を事前・事後指導で置き換えること を認めた。 2008年から2011年まで、十和田市にキャンパスがある北里大学獣医学部は、事前指導のゲスト 講師として現職の中・高教員を招聘してきた。2009年以来、筆者たちは、その講義に対する学生 の要望を事前に集め、講義後には感想を集めて、ゲスト講師に送った。ゲスト講師は、要望に基 づいて講義を構成した。 学生の講義要望事項や感想の特徴とゲスト講師による事前指導の効果を検討するために、テキ ストマイニングを用いて、要望事項と感想を分析した。クラスタ分析と対応分析の結果が検討さ れた。それによれば、学生たちには、中・高校生たちとの人間関係や授業計画の作成とその実施 に心配事や不安があり、ゲスト講師による事前指導がその心配事や不安を和らげるのに効果的だ ということが分かった。
著者
川井 陽一
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.151-166, 2012-03-31 (Released:2017-09-09)

ヨーロッパにおいては、歴史的に、言葉 ( 言語 ) に高い価値を置く考え方があり、教育においても重視されてきた。それは古典による教養が人間性を高めるということにつながる考え方でもあった。 ギリシア・ローマの古典を重視し、それを根底に据えながら人間形成を図る教育のあり方をヒューマニズム教育と呼び、ルネサンス期イタリアにおいて確立された。確立者としてのヴィットリーノ・ダ・フェルトレの名はよく知られている。 ルネサンス期に確立されたヒューマニズム教育は、ギリシア・ローマの古典、篤い宗教心、ギリシア的理想である健やかな体、いわゆる知・徳・体の調和的発達をねらいとしたが、その根本はあくまで古典をとおしての人間形成であった。古典をとおしての人間形成という手法は、わが国の素読もこの系譜につながるとみることができ、その意味では、国家や地域また時代を越えた普遍性を有している。それは人格の陶冶そのものと関わるという点においては、教育原理に深く結びついているとも言えよう。 ヒューマニズム教育は教育階梯においては、高等教育の準備段階である中等教育として位置づけられ、職業人の育成ではなく人格の陶冶を目的とした。その影響は、たとえば、ドイツのギムナジウム、イギリスのパブリック・スクール等、ヨーロッパの中等教育に及んでいる。   ところで、わが国においては、新しい学習指導要領において言語活動の充実が打ち出された。改正された教育基本法第 2 条の考え方や、さらには学校教育法第 30 条の考え方を踏まえながら、子どもたちの思考力、判断力、表現力等をはぐくむためには、言語能力を高める必要があるとされている。また、中教審答申において、言語は知的活動 ( 論理や思考 ) の基盤であるとともに、コミュニケーションや感性、情緒の基盤であることが述べられている。 今後の国際化社会を展望するとき、古典を学ぶことによる教養の形成や、言葉 ( 言語 ) を磨くことによるコミュニケーション力の向上及び論理的思考力の向上等はさらにその意義を増すと思われる。そのような観点に立てば、言葉 ( 言語 ) さらには古典を重視するヒューマニズム教育は、今日的意義を有し、わが国の今後の教育においても大いに価値をもつと考えることができるのである。
著者
平井 清子
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.81-103, 2015

&emsp;日本の英語教育が、ディスカッション、ディベートなどを含むコミュニケーション重視の授業に転換してから久しいが、日本の文化的背景から、このような学習者主体の授業の実践は容易ではなく、いまだ授業では、従来の暗記型の要素が強いことが否めない。文科省では小中高を通しての論理的・批判的思考力の養成の奨励がなされ、英語においても、詰め込み教育、受け身の教育では果たせない、自ら考える力、論理的・批判的思考力を育み、併せて四技能に配慮した統合的なコミュニケーション能力の育成が促進されている。同時に、これらの能力を育成することで、英語での発信力の養成が可能となる。このための新しいアプローチとして、「内容重視の教授法」(Content-based Instruction:以下CBI)の授業の提案がある。CBIには「年齢相応の思考力を伴う言語発達の必要性」を説くバイリンガリズムの観点から「言語発達には思考力と言語力の両輪が必要である」という基本概念がある。<br> &emsp;「仕事で英語が使える」人材育成の出口である大学英語教育の役割はますます重要となる。とりわけ、専門課程に入る前の初年次英語教育では、CBIのように「数学」や「生物学」などの教科の教育と言語教育を統合した英語教育が、「英語」の授業や選択制の専科の授業で取り入れられることが必要となってくるであろう。<br> &emsp;本研究は、CBI発祥の地であるアメリカの高等学校CBI-ESLの授業の参与観察から、日本での応用を、特に大学での実践を考慮し提案するものである。米国の現地校の授業の参与観察により、以下の点が日本でCBIの授業を導入する際に提案される。1)各課ごとに「教科(内容)目標」と「言語目標」を定め、言語指導では教科学習に必要な語彙や表現と同時に、「学習スキル」を養成する。2)インプットとアウトプットのバランスを考慮し、四技能を統合的に取り入れる。3)「評価の基準(ル―ブリック)」の効果的使用。使われる発問は、自分の答えを証拠の裏付けをしながら論理的に述べる本質的な質問(essential questions)であること。4)これらを協働学習を通して行う。
著者
渡辺 克己
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.91-106, 2011-03-31 (Released:2017-09-29)

我が国の小学生と中学生の科学的リテラシーは世界的に最上位のレベルにある。しかし、成人では下位のレベルになってしまう。児童・生徒と理科担当教員の現状を分析し、理科教育の改善に向けた検討を試みた。 ・小学生は理科が好きでよく学習するが、中学校では理科を難しいと感じ、理科が嫌いになる生徒が増える。高校になると、理科は嫌いで大切ではなく役に立たないと思う生徒が多数となり、家ではほとんど学習しない者が急増する。・神奈川県の理科の新採用教員は、高校の教科書に出てくる代表的な77 実験を平均で27.1% しか経験しておらず、実験・観察技術の習得が急務であり、教員養成、研修体制の整備が必要である。・今回の学習指導要領の改訂では、探求活動や生活と関連する内容等が増えており、生徒の知離れ、理科嫌いの状況を踏まえ、理科教育を抜本的に見直す良い機会である。・授業改善( 教え方の工夫 ) と同時に、一人ひとりに考える手順を指導した上で、話し合いと発表など協働作業に参画させる学習支援 ( 学ばせ方の指導 ) を行うことで、理科嫌いだった高校生を理科好き変えた研究が行われた。