著者
坪井 麻伊
出版者
公益財団法人 集団力学研究所
雑誌
集団力学
巻号頁・発行日
vol.34, pp.21-64, 2017

<p><tt> 将来は、地域に貢献できる人になりたい。そんな思いから、鳥取大学の地域学部を選んだ。勉強、サークル、地域活動、アルバイト、そんな毎日を繰り返すうちに、私が本当にやりたいことがわからなくなっていた。いつしか、誰かの声、私の声にすら耳を傾けることを辞めていた私は、自身を語ることができなくなっていた。</tt> <br> <tt>そもそも、私たちは今まで誰かの「声」に耳を傾けたことがあっただろうか。現在の私たちは、隣に住んでいる人の顔も名前もわからない、人に会ってもあいさつをしない、つながりの希薄化した生活を送っている。一方でインターネットさえあれば、相手の表情を見ることなく、好きな時間に好きなことを伝えることができる便利な世の中を生きている。いつしか話し相手は画面へと変化し、誰かと出会い、表情を見ながら言葉を紡ぐこと、語り合う楽しさを忘れてしまった。個人に時間を費やす人は多くなったが、自身を見つめなおす大切な時間は失われつつある。私たちは今まで誰と出会い、どんな言葉に耳を傾け、自身を見つめなおしてきたのだろうか。</tt> <br> <tt>そんな時代を生きている私が、縁もゆかりもない土地を訪れ、一人の語り手と出会うこととなった。それが</tt>3 <tt>年生の</tt>7 <tt>月から智頭町那岐地区で行われた「山里の聞き書きプロジェクト」である。那岐地区の真鹿野に住む谷口尭男さんから、自然を大切にしみんなで助け合い生活したこと、戦争という時代を生き抜いた経験を聞いた。そこには「懸命に生きる姿」があった。その暮らしから、尭男さんの人や物に対する「敬意」や「思いやり」をも感じていた。どんなお話を聞いても、必ず尭男さんは「それでも幸せじゃった」と語ってくれたことが忘れられない。しかし、尭男さんの語りに耳を澄ませば澄ますほど「私はどうだろうか?」と私の心に向かってまっすぐに語りかけられる瞬間があった。私は尭男さんのように、思いやりをもち日々をていねいに懸命に生きてきのだろうか。尭男さんを鏡として私自身が映しだされたのだ。聞き書きを通し、私にとって大切だったことは、この私の心に向かってまっすぐに語りかけられる瞬間であった。大切なことは、最初から私の心の中にあったのだ。尭男さんという一人の人と向き合うことで気づいたことである。</tt> <br> <tt>誰かの人生を聞くということは歴史を聞くことでもある。それは、地域史や歴史書には載っていない、語りから生まれた世界でたった一人の、たったひとつの物語である。この時代に私と語り手が出会うことこそが奇跡的で、歴史的な出来事でもあるのだ。その出会いこそ「わたしを映しだす鏡との出会い」でもある。</tt> <br> <tt>本論文では、尭男さんの語りをていねいに記述することで、現代の私たちが忘れてしまった「人と出会うことの大切さ」に改めて気づき、尭男さんを鏡として映しだされた私自身を見つめなおしていきたい。</tt><tt><b> </b></tt></p>

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こんな論文どうですか? <b>わたしを映しだす鏡との出会い</b><b> </b>:<b>--- 中山間過疎地域のある高齢者の語りから ---</b><b> </b(坪井 麻伊),2017 https://t.co/6nWoIb7z0D <p><t…

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