著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.143-168, 2014

明治43年(1910)8月,関東地方を中心に東日本で大水害が生じた。この対策として政府は北海道移住を呼びかけた。この呼びかけに,渡良瀬川支川思川下流部に位置する栃木県下都賀郡から66戸210名が応じた。彼らは,44年4月,現在の北海道常呂郡佐呂間町に入植し,その土地を「栃木」と命名して開墾を進めていった。明治時代,水害罹災者が北海道へ移住するのは珍しいことではなかった。明治22年の奈良県十津川災害では,十津川村から約640世帯,約2,600人が移住し,新十津川村を開いたことはよく知られているが,富山県の常願寺川水害,岐阜・愛知県の木曽川水害でも被害者は新天地を求めて移住した。また40年の富士川大水害後も,山梨県から200戸以上の移住者が北海道に向かっている。ところで栃木県下都賀郡は,明治20年頃から35年にかけて足尾銅山から排出された廃鉱(廃棄された銅分を含む土石)によって鉱毒被害が生じた地域であった。また,佐呂間町に移住した66戸の中には10数戸の元谷中村出身者がいた。このため今日,度々,この移住は足尾鉱毒事件と結び付けられて述べられている。たとえば,昭和57年(1982),開拓70周年を記念して「栃木のあゆみ」が栃木開基開校七十周年記念協賛会から刊行されたが,その冒頭に「(栃木集落は)栃木県人の皆様が足尾銅山の鉱毒に追われ,北海の新天地に永住の地を求めて移住されました」と述べている。つまり栃木集落に移住してきた人々を足尾鉱毒の被害者とし,その移住を足尾鉱毒事件の一環としてとらえている。さらに,政府による「強制移住」との主張もある。

言及状況

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