著者
松浦 茂樹 山本 晃一 浜口 達男 本間 久枝
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.193-204, 1988-06-20 (Released:2010-06-15)
参考文献数
14
被引用文献数
1

河川環境が重視されている今日、樹木が注目されている。河川周辺の樹木と云えば、我が国には治水伝統工法の一つとして水害防備林がある。水害防備林は、立地位置より堤塘林、護岸林、水除林に分類される。水害防備林は、近世までは重要な治水施設として管理・育成されていた。もちろん洪水の疎通の支障となる堤防上の樹木は、大風によって揺さぶられ堤防が危険になる等の否定する意見もあったが、幕府によって奨励され各藩でも整備された。明治になっても太政官による「治水法規」の中に、堤脚を保護する竹木は保存するようにと指示されているように、水害防備林は重要視された。1897 (明治30年) 発布の森林法でも保安林に編入された。明治末年から、政府により全国的な治水工事が進められた。近代治水事業は都市部そして大きな平野部での築堤事業を中心に行われ、一定の流量を氾濫原も含めた河道内に収めようとの考えを基本に進められた。河道内の樹木は洪水疎通に支障があるかどうかとの観点から見られ、それ以外の機能は検討範囲外に置かれていたというのが実状であろう。一方それ以外の機能に注目していたのが林学、農学の関係者で、築堤による治水に加えプラス・アルファの効用を水害防備林に求めてきた。戦前でも水害防備林、遊水林の造成が奨励され、昭和20年代の大水害後には、現地調査を中心に研究が進められた。しかし社会経済の高度成長時代は、水害防備林に関心が払われることは少なかった。河川環境が注目されている今日、樹木は重要な素材となり得るものである。また超過洪水対策が重要な課題となっているが、超過洪水対策の観点から、水害防備林のもつ効用を再度整理しておく必要があると筆者らは考えている。
著者
松浦 茂樹 藤井 三樹夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.61-76, 1994

1875 (明治8) 年、第1回地方官会議が開催され、ここで「堤防法案」が審議された。治水は河身改築・砂防工事等を主とした「預防ノエ」と、築堤を主とした「防禦ノエ」とからなり、地域で工事を行なうことが難しいときは、前者は内務省、後者は地方庁で行なうと政府から提案された。工事費については、地租の改正に従って新たな制度の整備を図るが、治水は一地域に限られたものであって、その地域で負担するのを原則とし、それが困難なとき国から補助すると規定された。しかし「堤防法案」は、政府原案を修正した上で成案をみたが、制定には至らなかった。ただし淀川では、太政官の指令によって土木寮分局が設置され、その事務規程中、成案をみた「堤防法案」の工事執行、費用分担と類似した規定が設けられた。<BR>1878 (明治11) 年、地方財政制度が確立され、治水事業は地方庁で行なうのが原則とされた。当初は下渡金という名の補助金があったが、1881年に打ち切られた。これ以降、大河川での「預防ノエ」以外は地方庁で行なわれることとなったが、地方庁の財政が逼迫し、容易に進まなかった。このため内務省は、補助制度の確立を目指し、1887 (明治20) 年頃には、一定の成果を得た。また、木曾川等では、国直轄の河身改修、県負担の築堤が合わさって大規模な事業が着手された。<BR>1896 (明治29) 年、「河川法」が制定されたが、それは「防禦ノエ」を国直轄で行なうものであった。それまで「預防ノエ」のみ直轄で行なっていたが、淀川流域を中心とし、地域からの「防禦ノエ」に対する国直轄施行の要望が強まり、いよいよ国として「防禦ノエ」に乗り出さざるを得なくなり、新しい制度が必要となったのである。
著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
巻号頁・発行日
no.211, pp.41-63, 1993 (Released:2011-03-05)
著者
松浦 茂樹
出版者
水利科学研究所
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.p47-79, 1991-06