著者
堀本 雅章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.188, 2009

現在,都市部でも学校の統合は見られるが,過疎地域においては,学校の統合だけでなく,廃校になった例は多々ある。沖縄県竹富町にある鳩間小学校は,1974年の春と1982年の春,2度にわたり廃校の危機に直面したが,その都度親戚の子どもを呼び寄せ廃校になるのを免れてきた。その後も,沖縄本島から里子として施設の子どもや,山村留学に類似した「海浜留学」という形で全国各地から子どもを受入れ学校を維持してきた。<br> 一方,近年の離島ブームや,2005年に海浜留学生として鳩間島に来た少女を主人公にした「瑠璃の島」がテレビ放送された影響もあり,観光化の波が急速に訪れ,民宿や船便が増え,島は以前より活気づいている。<br> 本稿では,過去に廃校の危機に陥った鳩間島の学校の役割について島民の意識調査を実施し,学校の役割は子どもの教育以外に何があるのか,また,鳩間島民にとって学校はどのような存在なのかを解明することを研究目的とする。<br> 鳩間島は周囲3.9km,面積0.96k_m2_で,西表島の北約5.4kmに位置し,人口は2007年9月末日現在69人である(調査当時)。集落は,港付近の島の南側1ケ所で,フクギに囲まれた赤亙屋根の家屋が今も残っており,島内には多くの御嶽がある。島の産業は,民宿,食堂・喫茶,マリンスポーツのほか,少ないながら農業,漁業が見られる。また,音楽活動が盛んで,民謡歌手も数名在住している。<br> 調査は,2007年7月および9月に実施し,鳩間島に住民票がありかつ実際に居住している20歳以上の島民47人を対象とし,41人から回答を得た。質問項目は,「学校の役割について」,「廃校になっていた場合の島の状況について」,「里子・海浜留学生受入れ後の島の変化について」,「里親・受け親の経験について」等である。また,鳩間島の居住期間の違いから生じる学校に対する考え方を比較するため,島での通算居住期間を10年以上(19人)と10年未満(22人)とに分け比較した。さらに,近年の観光の発展との関連を検討するため,観光産業就業者(18人)とそのほか(23人)に区分し比較した。<br> 本来学校の役割は,「教育の場」と考えられるが,今回の調査では7回答に留まった。一方,「島の存続」12,「島の活性化,過疎化させないもの」が10回答あった。また,廃校になっていた場合の現在の島の様子として,「無人島になった」10,「過疎化した」10,「老人だけ,もしくは老人がほとんどの島になった」が6回答を占めた。学校は教育の場であるが,島にとって学校はなくてはならないものである。<br> 調査を行った2007年9月現在,海浜留学生4人のほかに,親とともに転入してきた小中学生が7人いた。しかし,鳩間島の血を引く子どもは一人もいない。学校を維持するために,親戚の子どもを呼び寄せ,1983年からは里子を受入れ,近年は「海浜留学生」の受入れが中心になっている。さらにこの数年,小中学生が家族とともに鳩間島に転入するケースが見られた。2008年度は海浜留学生4人を含む9人が在籍したが,2009年3月に海浜留学生の卒業や転校により4月から,家族で転入してきた小中学生の4兄弟のみの在籍となった。彼らが,家庭の事情で急遽6月19日に島外の学校へ転校したため,開校以来小中学校ともに在籍者数ゼロとなった。学校を存続させるためには小中学生の受入れが急務となったが,鳩間島での生活体験のある親とともに転入してくる子どもを含め,2学期から小中学生各1人の転入が確定し,鳩間小中学校は3度目の廃校の危機を免れる見通しがついた。このほかにも転入希望者はいるが,受入れ家庭等の調整中である。<br> 数年後,鳩間島出身の子どもの小学校入学が予定されているが,そのほかは目途が立っていない。鳩間小中学校を維持していくために,子どもを連れた帰島者や転入者が定住できるような産業の整備が必要である。そのためには,鳩間島に合った観光を取り入れると同時に,観光だけに頼らない新たな島の産業の確立が急務である。

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