著者
米地 文夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.71, 2008

宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」と「インドラの網」との二編の童話に天の野原に行った夢の場面を描いた。 前者はジョバンニが夢の中で銀河鉄道に乗って天の野原を旅し, 後者では「私」はツェラ高原から天の空間にまぎれ込む。 ツェラ高原についてはチベットやパミールの高原を基にした架空の地といわれてきたが, 演者はその地形や湖の描写がヘディンの『トランスヒマラヤ』の中のチベット北部, 現阿里地区北東の塩湖の記載と類似点が多いことを見いだした。 ただし植生は詩「早池峰山巓」とその先駆形の山頂の描写と共通したコケモモや灰色の苔や草穂の原などがあり,「インドラの網」の天の野原は早池峰山頂緩斜面の記憶にチベット北部の塩湖を銀河として重ねたのである。なお,チベットにはツェラ(頂きの峠~山道の意味)という地名が複数存在し,音に則拉や孜拉という漢字を当てている。 一方,「銀河鉄道の夜」の沿線の記述は一見,多様であるが,演者はこれを景観から二分することにより,そのモデルを絞り込んだ。すなわち, 岩手軽便鉄道(現JR釜石線)をモデルとする東西線と,東北本線(現JR在来線)のイメージを持つ南北線とである。 東西線は最も初期に書かれた第一次稿の前半部(演者の0次稿)に当たり,地形に大きな起伏がある。車窓のコロラド高原に擬した高原にはトウモロコシ畑があり,白い鳥の羽根を頭につけ弓を持つインディアンが登場する。当時,種山ヶ原に飼料用のトウモロコシ畑もあり(詩「軍馬補充部主事」),また詩「種山と種山ヶ原」に「じつにわたくしはけさコロラドの高原の/白羽を装ふ原始の射手のやうに/検土杖や図板をもって…」とあるので,インディアンは賢治自身の投影,高原は種山ヶ原である。高原から列車は激しく揺れつつ下るのも,同日付の詩「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」(異稿に銀河軽便鉄道の名あり)の猿ヶ石川の谷を下る際の描写と同じである。 南北線部分の地形はほとんど平坦で,三角標や十字架が星と星座を示している。これは,東西線では,インディアン,いるか,鶴など星座名にちなむ人や動物が登場しているのとは対照的である。南北線沿線にはススキやリンドウなど岩手の二次草原の植生がみられる。ジョバンニには,カムパネルラの捜索現場の河原で「川はゞ一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見え」たとある。この河原は花巻の北上川の旧瀬川合流点の州をモデルにしており,したがって南北線は北上川をモデルとした銀河に沿って走り,そらの野原は北上低地をモデルとしたことになる。「プリオシン海岸」の挿話は北上河畔のイギリス海岸がモデルであるから,本来は岩手軽便鉄道に近いが,北上川に沿うため南北線に移して組み込まれている。 このように宮沢賢治の描く銀河に沿う景観は,実際に観察している岩手の景観に,本や映画で知った海外のイメージを重ね,さらにそれを天上の景観の幻想を重ねるという,三重の幻想空間構造になっているのである。したがって宮沢賢治の銀河沿岸の│景観描写のモデルは表のようになる。

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こんな論文どうですか? 宮沢賢治の銀河沿岸の景観描写のモデルはどこか:岩手・チベット・コロラドへの幻視について(米地 文夫),2008 https://t.co/V9pDQQh5Nd 宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」と「インドラの網」との二編の童話に天の…

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