著者
増根 正悟
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

&nbsp; 1989年の体制転換以降、中東欧の旧社会主義諸国では、旧土地所有者への農地返還の過程で多くの個人農が創出された。農地返還は社会主義体制以前の土地台帳に基づいて行われたため、歴史的に零細農家が多かったスロヴァキアでは、きわめて狭小な農地を所有し家族労働力に依拠した小規模個人農が多く誕生した。現在のスロヴァキアでは、大規模な農業経営体である協同組合と会社農場が卓越しているが、近年は商業的な農業経営を行う小規模個人農の増加が目立っている。とくに、スロヴァキアにおける小規模個人農の特徴は、ワイン生産農家が卓越する点にあり、スロヴァキア農業の全体像を明らかにするうえで、小規模ワイン生産者の動向の分析が不可欠となっている。そこで本研究では、体制転換後の新たなスロヴァキアの農業形態と農地所有状況の変化を把握するために、首都ブラチスラヴァの近郊に位置するペジノク郡を研究対象地域として取り上げ、小規模ワイン生産者の経営実態を明らかにすることを目的とする。<br>&nbsp; &nbsp;ペジノク郡では、2000年代以降、これまであまりみられなかった小規模ワイン生産者が急激に増加するようになった。その要因としては、まず市場経済に適応できない協同組合の解体が相次いだことがあげられる。すなわち、協同組合の中には、市場経済に適応できず、消滅や規模縮小を余儀なくされる経営体が多かったが、解体に伴って生じた耕作放棄地を借地したり購入したりすることにより、小規模ワイン生産者が農地を確保することが可能となった。また、2004年のEU加盟前後からスロヴァキア経済が急成長を遂げ、それに伴って消費者の嗜好が従来のバルクワインから上質ワインに転換していったことも、小規模ワイン生産者が経営基盤を確立するうえで重要であった。こうした消費者のニーズの変化が、個性豊かな上質ワインをおもに生産してきた小規模生産者にとって有利に働く結果となった。 小規模ワイン生産者は、ブドウ栽培・ワイン醸造の専門学校の授業や、長年自家製ワインを生産してきた家族を通じて、経営を開始する以前からブドウ栽培・ワイン醸造の十分なスキルを身に付けていた場合が多かった。また、ワイン関連以外の仕事に従事した経験をもつ者が多く、そのことがブドウ栽培・ワイン醸造に必要な資金を調達することを可能にした。さらに、家族労働力を主体とする経営であるため人件費を抑制できたことや、知人・家族から無償または廉価で農地を借入れたり購入したりするなど、低コストで経営拡大を実現できたことも、生産者の増加の要因として重要であった。<br>&nbsp; &nbsp;小規模ワイン生産者は、ブドウの自家栽培の有無、専業か否かなどにより、いくつかのタイプに区分することができるが、多くの生産者はブドウの自家栽培とワイン生産の専業化を目指している。生産されたワインの出荷先は、ペジノク郡及び近隣自治体である場合が一般的であり、醸造所での直売のほか、近隣の飲食店やワイン専門店への出荷が多い。また、市場の確保だけでなくワインツーリズムの集客についても、首都ブラチスラヴァに近接していることが大きな意味をもっていることが分かった。そして、各自治体で開催されるワイン関連のイベントへの参加も、ワインの販売促進において重要な役割を果たしていた。 しかし今後、小規模ワイン生産者が経営の拡大を図っていくうえでは、いくつかの課題も存在する。1つ目は、非効率的な土地利用の問題である。小規模ワイン生産者は市内外の複数の土地所有者から農地を借入れるか、または購入してブドウ栽培を行っているが、それらの農地は分散して存在している場合が多い。その上、各圃場の面積がきわめて狭小であるため、機械による作業を行うことが難しい。2つ目は、耕作放棄地の耕地化の問題である。長期に及んだ土地整理事業の中で拡大した耕作放棄地を、再びブドウ栽培が可能な状態にするためには、新たな苗木の購入や除草等の労力が必要であり、生産者への負担が大きい。3つ目は、地価上昇の問題である。近年ペジノク郡はブラチスラヴァの近郊住宅街として人気が高まっており、土地所有者にとっては住宅地としてより高額で売却する方が魅力的であるため、農地の確保が次第に難しくなっている。 ただ、これらのネガティブな条件にもかかわらず、多くの小規模ワイン生産者はブドウの自家栽培にこだわり、農地のさらなる借入れや購入を志向する場合が多い。その背景には、近年のブドウの買取り価格の上昇のほか、保護原産地呼称制度の導入にともないブドウの原産地が消費者に重視されるようになってきたこと、個性的なワインを生産することで大規模ワイン生産者との差別化を図れること、などがある。小規模ワイン生産者は、美しい農業景観の維持や、ワイン生産の伝統継承という役割も担っており、今後の一層の発展が期待されている。

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