- 著者
-
水野 信男
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 民族學研究
- 巻号頁・発行日
- vol.65, no.1, pp.42-61, 2000
ウンム・クルスーム一この歌手の名を知らないエジプト人,ひいてはアラブ人がはたしているだろうか。実際そうおもえるほど,彼女はいまなお,彼らのこころのなかに生きている。中東地域の音文化のフィールドワークをつづけるうち,筆者はしばしば,ウンム・クルスームの名を耳にした。なかには,その歌の旋律を得意気にくちづきむ人もいた。すでに没後 25年になろうというのに,今なおカイロ放送は,ウンム・クルスームの往年の名歌をことあるごとに電波にのせているし,テレビもまた彼女の生前の演奏会の映像をながしつづけている。 エジプトばかりか,アラブ諸国を旅するごとに,ウンム・クルスームの歌が,そこに住む人びとのなかにつねに新鮮に息づいていることを実感する。ウンム・クルスームに関する音源資料はいまだに各地で続々とリリースされ,文献さえもあらたに刊行されている。ウンム・クルスームをして,これほどまでに現代にその存在を印象づける理由は, 一体何なのだろう。中東の旅でのこの素朴な疑問が,はからずも筆者をウンム・ クルスーム研究へと駆り立てた。そしてそのウンム・クルスームの芸術のなかに,中東の人びとが長年にわた ってつちかかってきた音文化が,さまざまのかたちで脈動していることに気づきはじめた。本稿では,ウンム・クルスームがその生涯をとおしてうたったおびただしい歌曲のレパートリーを追いながら,そこに投影するアラブ・イスラームの伝統をあとづけてみたい。