著者
池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

音楽と都市の関係性は,意外にも深い.音楽に関わらず,芸術・文化全般はヨーロッパ都市においてパトロンやブルジョアの庇護下で発展し,19世紀に市民階級により消費されるに至るまで,舞台の上で演じられるものであった.音楽は祭典では感動を演出する装置として機能し,戦争ではプロパガンダとして機能し得る側面をもつ(岡田 2010).他方で,現代音楽に目を向けると,一部の音楽は若者文化や抵抗文化,マイノリティ文化と密接結びつき,独自の発達を遂げてきた.その多くは,それらを生み出した社会集団的特性や音の性質・装置等の都合上においても,舞台や祭典ではなく,ストリートや工場,廃墟を嗜好する.ドイツは言わずと知れたクラシック大国であるが,同時にレイヴ文化やエレクトロ音楽でも知られる国である.その首都,ベルリンでは,1990年代にテクノ文化Technokulturが醸成された.この文化は,一部は占拠運動として育まれ,その舞台となった場所は工場や旧ユダヤ系資本百貨店地下金庫,あるいは賃貸住宅地内の地下倉庫等であった.この時期に設立されたテクノクラブは,テンポラリーユースとして合法化されたものもあれば,移転し,現在でも運営を継続するものもある(Ikeda 2018).こうした1990年代初頭に設立されたテクノクラブの多くは,ベルリンにおけるアンダーグランド文化の代名詞となり,エレクトロ音楽の生産の場(あるいは生産に近い場)として機能を維持してきた.ベルリンにはクラブが300件程あり,その多くはインナーシティに位置する.また,クラブ全体の67%がエレクトロ音楽を扱う空間である(現地調査に基づく).こうしたテクノクラブを例とするベルリンのアンダーグラウンド文化は,経済利潤を市へもたらすものと認識されて以降,重要な消費の場へと変化を遂げてきた.その1つ目の転換点となったのが,メディアシュプレー計画に代表される創造産業振興政策である.これは,河川沿いにメディア・音楽産業を誘致する大規模再開発であり,ユニバーサル等の大手音楽産業が集められた.同計画は結果的にテンポラリーユースにより存続を継続していたクラブシーンの一部を追い出すこととなった.しかし,その過程において,クラブの経営形態は多様化し,より高度に専門化(あるいは資本化)したクラブも出現した.第2の転換点が,市全体の観光産業部門の成長である.2011年以降,観光客数は右肩上がりの成長をみせ,観光産業が重要性を増すなか,市は国際的なビジット・ベルリンキャンペーンにおいて,クラブやエレクトロ音楽を,同市を代表する観光資源として積極的に紹介するようになった.すなわち,2010年代前半には消費の場としてのクラブの側面が,社会・学術的課題において重要性をもった.しかし,音楽共有プラットフォーム提供会社SoundCloud設立以降の音楽関連企業スタートアップブームの中,クラブは再度,音楽の生産の場としての役割を担いつつある.クラブのなかには,レコードレーベルをもつ事業体もあり,エレクトロ音楽に限らず,クラブは生産・消費双方の役割を担う場である.今後は音楽産業に占める生産の場としてのクラブの役割に関する一層の研究が求められよう.

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