著者
相川 良彦
出版者
農林水産省農林水産政策研究所
雑誌
農林水産政策研究 (ISSN:1346700X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.27-51, 2003-10

山形県長瀞村の戦後の農村演劇運動は宮澤賢治の芸術思想を起源とする。それは資本主義により独占され偏向された近代芸術を、地域庶民の手に取り戻し、生活に根ざした生命力を吹き込むことによって蘇らせようと主張していた。この芸術思想は、戦前において、その教え子・松田甚二郎による演劇活動を核とした村づくり運動として山形・最上で実践された。戦後において演劇は、生活記録運動のリーダー・国分一太郎の教え子と松田の演劇活動に触発された青年たちが出会って、サークル活動として蘇った。青年サークルや青年団がその活動基盤であった。それら諸組織にとって演劇は、成員の連帯強化には役立つが、資金と労働の負担が障害だった。そのため演劇の担い手は組織の連帯強化と資金難との衝突によりしばしば入れ替わった。演劇内容としては、農村演劇はテーマの追究と娯楽性との二兎を追って展開してきた。だが、青年諸組織の解散と共に、それらを活動基盤とした農村演劇も消滅した。本論は、民衆芸術としての演劇思想は誰により唱えられ、どのような内容のものであったか、その思想は如何なる社会条件と結合し演劇へと具体化されたか、演劇活動に栄枯盛衰をもたらした社会経済的条件とは何であったか、を主として演劇運動の担い手たちの証言により明らかにするものである。

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