- 著者
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江頭 智宏
- 出版者
- 鹿児島大学
- 雑誌
- 鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, pp.121-135, 2011
本稿では、ナチス教員連盟が1933年4月に開催した第2 回の全国大会を契機として出した連盟の覚書と、ナチス教員連盟が発行した機関誌に掲載された2 編の論稿などを史料として、ナチス教員連盟が新教育運動を担った教育者たちをどのように認識していたのかを検討する。レーヴェンシュタインについては、徹底的な攻撃の対象とされ、ナチス教員連盟における新教育運動に対する最も一般的な認識を体現していた。しかしナチス教員連盟に加盟したシャレルマンに関しては、クリークと共にその加盟を称賛し、ガウディヒとリーツについても、ナチスの教育の「先駆者」として称賛され、彼らの意志を「継承」すべきとされた。このように新教育運動を担った教育者たちを一方的に批判しただけでなく「称賛」した側面があったのであるが、その理由はまずは自らの勢力を拡大すべく彼らの知名度を利用するためであった。そして彼らの教育思想・教育実践を受け入れた部分もあったが、飽くまでも一面的、あるいは歪曲させたうえでの「受容」であった。こうした態度をナチス教員連盟がとったのは、連盟が明確な教育的立場を欠いていたからである。そのために新教育運動を自らと「連続」させざるを得なかった側面もあり、こうした「連続」の問題は、新教育運動の廃止と同様にナチスが新教育運動に及ぼした大きな問題である。