著者
松田 君彦 児嶋 晃代
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.187-203, 2002

子どもは,普段からの親の自分に対する態度や関わり方からいろんなことを感じ取っており,日常の叱られるという場面でちょっとした叱りことばの違いに敏感に反応しているといえる。本研究は,親の用いる叱りことばをいくつかのタイプに分類し,どのような叱り方が子どもに受容されやすいかということ,さらには,親の自分に対する日頃の関わり方を子ども自身がどのように認知しているかによって,同じ叱り方でも受け止め方に違いが見られるのではないかということを調べることが目的である。結果としては,「人格評価」や「突き放し」といった叱り方は子どもに反発感情を生じさせるが,親との信頼関係の有無が重要な媒介変数であることがわかった。
著者
江頭 智宏
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.121-135, 2011

本稿では、ナチス教員連盟が1933年4月に開催した第2 回の全国大会を契機として出した連盟の覚書と、ナチス教員連盟が発行した機関誌に掲載された2 編の論稿などを史料として、ナチス教員連盟が新教育運動を担った教育者たちをどのように認識していたのかを検討する。レーヴェンシュタインについては、徹底的な攻撃の対象とされ、ナチス教員連盟における新教育運動に対する最も一般的な認識を体現していた。しかしナチス教員連盟に加盟したシャレルマンに関しては、クリークと共にその加盟を称賛し、ガウディヒとリーツについても、ナチスの教育の「先駆者」として称賛され、彼らの意志を「継承」すべきとされた。このように新教育運動を担った教育者たちを一方的に批判しただけでなく「称賛」した側面があったのであるが、その理由はまずは自らの勢力を拡大すべく彼らの知名度を利用するためであった。そして彼らの教育思想・教育実践を受け入れた部分もあったが、飽くまでも一面的、あるいは歪曲させたうえでの「受容」であった。こうした態度をナチス教員連盟がとったのは、連盟が明確な教育的立場を欠いていたからである。そのために新教育運動を自らと「連続」させざるを得なかった側面もあり、こうした「連続」の問題は、新教育運動の廃止と同様にナチスが新教育運動に及ぼした大きな問題である。
著者
今 由佳里
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.71-80, 2010

近年、日本音楽に対する扱いが変化しつつある。教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と伝統文化重視の方向性がうちだされている。平成21年3月に告示された新学習指導要領音楽科においても「和楽器の音楽を含めたわが国の音楽」「郷土の音楽」「我が国や郷土の伝統音楽」という記述がなされ、学校教育の中で日本音楽を教材としてより重視する傾向になってきていることがわかる。本稿では、日本の伝統音楽のひとつである「雅楽」を取り上げ、学校音楽教育導入の可能性を示唆する。雅楽は、1200年以上前の形が現存し世界最古のオーケストラと言われている。しかし、学校音楽教育の中では、その貴重さは認識されつつも、難しい音楽というイメージが先行し、音楽授業の中で積極的に取り入れようとする音楽教師は少なかったのではなかろうか。本稿は、このような現状を鑑み、学校音楽教育における雅楽の導入について、基礎的な資料を提示するものである。
著者
片岡 美華
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.21-32, 2014

This is a research paper that will discuss relations between universal design (UD) education and special needs education in the Japanese context. First, the definitions and terminology of UD are explained. In addition, UD education, UD for learning (UDL) and UD for instructions (UDI) are explained. Second, how UD was introduced into Japanese education is discussed. Third, the relationship between UD education and special needs education is approached. Japanese teachers may apply UD as to practice special needs education. However, UD means" universal" and UD practice usually targets all children, while special needs education focuses more deeply upon an individual child. To ensure an understanding of these relations, survey results of teachers' perceptions of UD education was included. The survey revealed that teachers were confused and unsure what UD was, or what the difference between UD education and special needs education was. Therefore, it is necessary to figure out the concept of UD education. Although UD education and special needs education are not equal, the notion of UD may have much potential to improve special needs education. For examples, UD might provide better practices for students with high functioning developmental disabilities and it may also cover a gap between regular education and special needs education. To conclude, UD education may be useful as first intervention and special needs education may take the role of being effective additional support.
著者
山下 晋
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.37-47, 2006-02-28

本論文では,チェルニー(Carl Czerny 1791〜1857)練習曲の音楽的な練習法について考察した。一般的にチェルニーの練習曲は単に機械的な指練習という印象が強く,音楽的な楽曲とは程遠いものであると認識されている。確かに,音楽的に見ると決して名曲といえるものは少ないが,この練習曲集には古今の名曲の演奏のための音楽的なエキスが多数詰まっている。これをうまく引き出すことにより,機械的なテクニックではなく音楽的テクニックに昇華できることを,様々な事例を挙げて紹介した。
著者
雲井 未歓 渡邉 流理也 小池 敏英
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.89-101, 2005-03-25

本研究は,高機能広汎性発達障害児14名を対象として行われた集団指導の内容を評価し,その適合性を,対象児の行動特性との関連で明らかにすることを目的とした。14回の指導についての評価結果を,指導のねらいごとに整理して,主成分分析した。その結果3つの成分が抽出され,それぞれ,集団活動への積極的関与,場面理解と自己統制,集団の楽しさへの志向性を反映することが指摘できた。対象児の行動特性は,保護者に対する質問紙調査によって検討した。これらの結果から,対人関係の形成が良好な児では,集団への参加が積極的であるが,言語発達の遅れやこだわりがある場合には,場面理解と自己統制を要する活動で,支援の必要性が高いことが指摘された。また,行動上の困難が全体として少ない児では,集団場面での自己統制がなされやすい一方,集団での積極的な行動や,楽しんで参加することを支援する必要性が指摘された。
著者
有倉 巳幸
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.29-41, 2011

本研究は、中学生の仲間集団にみられる排他性を、排他性欲求と排他性規範という2 つの要因からとらえ、学級適応感、自身の所属する仲間集団への適応感(自集団適応感)だけでなく、集団内地位やいじめに関する認知に及ぼす影響を検討することを目的とした。方法としては、架空のシナリオを用いた実験を行った。排他性規範(高・低)×排他性欲求(高・低)からなるシナリオを読ませて、登場人物の立場に立って、学級適応感や自集団適応感を評価してもらった。また、客観的な立場に立って、集団内地位やいじめに関する質問に回答してもらった。その結果、排他性規範の高い集団は、低い集団よりも学級適応感が低いと評価され、集団内に地位の差が生じ、いじめが起こりやすいと評価されていた。
著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.137-163, 2005-03-25

斎藤喜博(1911-81)が学校づくりをすすめた群馬県島小学校(1952-63)では,運動会や学芸会など学校行事のすすめ方を"授業"と同様に発想し,展開していた。授業においては,教師と児童との接点に最大の関心を持ち,島小の教師たちは,児童の可能性をひらく教育実践にうちこんでいたが,同様にして,学校行事の運営にあたって,児童がのびのびと表現活動を展開するよう教材や指導上の工夫をすすめ,特に,児童の表現の事実から指導の展開を工夫していくということについて,舞台演劇の概念である"演出"ということばを使っていた。このことは,動的な教授・学習過程の内実を教師たちがとらえるために必要だったのであり,"みる"ということばとともに,島小独自の実践概念であった。