著者
内沢 達 Uchizawa Tatsushi
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.149-182, 2009

1996 年9 月18 日,鹿児島県知覧町(現・南九州市)立知覧中学校3 年村方勝己君が「おれが死ねばいじめは解決する」という悲しい遺書を残して自殺した。当時あいついで起こったいわゆる「いじめ自殺」事件のひとつである。この事件は遺された両親を中心にいじめの実態解明がすすみ,さらなる真相解明のためにと両親は原告となって損害賠償請求訴訟を起こした。本稿の大半は筆者が事件の構造や教訓を陳述書としてまとめ,原告が鹿児島地方裁判所に書証として提出したものである。本稿の要約は陳述書の目次をもって代えさせていただきたい。
著者
松田 君彦 児嶋 晃代
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.187-203, 2002

子どもは,普段からの親の自分に対する態度や関わり方からいろんなことを感じ取っており,日常の叱られるという場面でちょっとした叱りことばの違いに敏感に反応しているといえる。本研究は,親の用いる叱りことばをいくつかのタイプに分類し,どのような叱り方が子どもに受容されやすいかということ,さらには,親の自分に対する日頃の関わり方を子ども自身がどのように認知しているかによって,同じ叱り方でも受け止め方に違いが見られるのではないかということを調べることが目的である。結果としては,「人格評価」や「突き放し」といった叱り方は子どもに反発感情を生じさせるが,親との信頼関係の有無が重要な媒介変数であることがわかった。
著者
江頭 智宏
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.121-135, 2011

本稿では、ナチス教員連盟が1933年4月に開催した第2 回の全国大会を契機として出した連盟の覚書と、ナチス教員連盟が発行した機関誌に掲載された2 編の論稿などを史料として、ナチス教員連盟が新教育運動を担った教育者たちをどのように認識していたのかを検討する。レーヴェンシュタインについては、徹底的な攻撃の対象とされ、ナチス教員連盟における新教育運動に対する最も一般的な認識を体現していた。しかしナチス教員連盟に加盟したシャレルマンに関しては、クリークと共にその加盟を称賛し、ガウディヒとリーツについても、ナチスの教育の「先駆者」として称賛され、彼らの意志を「継承」すべきとされた。このように新教育運動を担った教育者たちを一方的に批判しただけでなく「称賛」した側面があったのであるが、その理由はまずは自らの勢力を拡大すべく彼らの知名度を利用するためであった。そして彼らの教育思想・教育実践を受け入れた部分もあったが、飽くまでも一面的、あるいは歪曲させたうえでの「受容」であった。こうした態度をナチス教員連盟がとったのは、連盟が明確な教育的立場を欠いていたからである。そのために新教育運動を自らと「連続」させざるを得なかった側面もあり、こうした「連続」の問題は、新教育運動の廃止と同様にナチスが新教育運動に及ぼした大きな問題である。
著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.131-158, 2003

斎藤喜博(1911-1981)は, 1952(昭和27)年4月群馬県佐波郡島村立島小学校に校長として赴任した。斎藤は, 着任してから, かたく心を閉ざし, 勉強にも日常生活にも消極的であった児童や教師たちの雰囲気を変えることに力を尽くした。そのために, 原因となっているあらゆる慣行を廃止した。たとえば, 斎藤が赴任した当初の学芸会は, 特定の児童を訓練して, それぞれの特技を発表するというものであった。運動や音楽, 舞踊などを得意とする特定の児童が幅をきかせ, それ以外の児童はもっぱら傍観的に参加していた。そして, それらは日常的に行なわれる授業とはまったく無関係に行なわれていた。当時は「授業」自体が旧来の教え込み型, 講談調のものであり, そもそも, それらと学校行事とをつなぐという発想自体がなかったといえる。後には, 島小の全児童が, 集団で児童による表現活動を主体とした学校行事の創造に取り組み, 心をひらいて自分の実感を表現するように変わっていったが, 斎藤赴任当初は, まったくその反対であった。そのため, 児童の中に嫉妬や抑圧, 諦観が渦巻いていた。級友が活躍する場合においても, 無関心であり, また, できればできるだけ目立たないようにふるまうことがよしとされていたといってよい。そこで, 島小においては, このような形式的な「学校行事」を一時的に取りやめた。そのなかで入学式や卒業式に, 児童による呼びかけを取り入れたり, 構成遊技といわれる, 後の総合表現やオペレッタなどの身体表現活動につながる新たな学校行事を創造した。
著者
山口 武志
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Studies in education (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.11-27, 2012

近年の数学教育における認識論的研究では,構成主義や相互作用主義,社会文化主義の協応(coordination)が議論されており,各種の認識論における社会的相互作用の機能のとらえ方が論点の1つになっている。こうした研究動向をふまえ,本研究は,文献解釈的方法によって,Vygotsky 論を中心とする社会文化主義的アプローチにおける社会的相互作用の位置づけに関する考察を目的とするものである。本稿では,Vygotsky 論の鍵概念として,(V1)高次精神機能の発生と発達に関する基本的な視座としての「文化- 歴史的発達論」,(V2)高次精神機能の記号による被媒介性:媒介された(mediated)行為,(V3)高次精神機能の社会的起源:間精神的機能の内精神的機能への転化,内化(internalization)と専有(appropriation),(V4)発達の最近接領域の4つを指摘した。その上で,社会文化主義的アプローチにおける社会的相互作用の重要な機能や特性として,次の3つを指摘した。(SC1)「間精神機能の内精神機能への転化」を基盤とする「文化- 歴史的発達」にとって,社会的相互作用は必要不可欠であり,認知発達の質に影響を与える。(SC2)社会的相互作用は,「発達の最近接領域」の創出において重要な役割を果たす。(SC3)心理的道具に媒介された社会的相互作用を通じて,子どもは高次精神機能を発達させる。
著者
桶田 洋明
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Studies in education (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.33-45, 2018-03-29

現代の絵画表現において用いられる絵具は多岐に渡っているが、美術専修学生であってもそれらの正確な理解度は高くない。絵具の違いは展色剤の差から成るため、まずは絵具における展色剤について油絵具・アクリル絵具・テンペラ絵具の3種を中心に、試作を踏まえて検証し、各絵具の特徴および技法について考察した。 その結果、油絵具では展色剤である乾性油と希釈剤である揮発性油の違いを理解することで、的確な油の選定が可能となった。アクリル絵具はアクリルガッシュとの相違点や展色剤であるアクリル合成樹脂の理解を深めるとともに、添加剤の種類やその特徴について確認した。テンペラ絵具は全卵と油との混合による展色剤の作成方法や、半水性である成分の特徴を生かした技法の把握、油絵具との互層による混合技法の特徴について確認できた。 これらの実制作により、個々の絵画表現意図に応じた絵具・技法の選定が可能となり、表現レベルの向上に繋げることができた。また各絵具の知識を習得することで、他者への指導の際の一助となり、さらには将来において美術教員・専門家として就いた際に、正確で的確な指導の実現が期待できる。
著者
今 由佳里
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.71-80, 2010

近年、日本音楽に対する扱いが変化しつつある。教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と伝統文化重視の方向性がうちだされている。平成21年3月に告示された新学習指導要領音楽科においても「和楽器の音楽を含めたわが国の音楽」「郷土の音楽」「我が国や郷土の伝統音楽」という記述がなされ、学校教育の中で日本音楽を教材としてより重視する傾向になってきていることがわかる。本稿では、日本の伝統音楽のひとつである「雅楽」を取り上げ、学校音楽教育導入の可能性を示唆する。雅楽は、1200年以上前の形が現存し世界最古のオーケストラと言われている。しかし、学校音楽教育の中では、その貴重さは認識されつつも、難しい音楽というイメージが先行し、音楽授業の中で積極的に取り入れようとする音楽教師は少なかったのではなかろうか。本稿は、このような現状を鑑み、学校音楽教育における雅楽の導入について、基礎的な資料を提示するものである。
著者
片岡 美華
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.21-32, 2014

This is a research paper that will discuss relations between universal design (UD) education and special needs education in the Japanese context. First, the definitions and terminology of UD are explained. In addition, UD education, UD for learning (UDL) and UD for instructions (UDI) are explained. Second, how UD was introduced into Japanese education is discussed. Third, the relationship between UD education and special needs education is approached. Japanese teachers may apply UD as to practice special needs education. However, UD means" universal" and UD practice usually targets all children, while special needs education focuses more deeply upon an individual child. To ensure an understanding of these relations, survey results of teachers' perceptions of UD education was included. The survey revealed that teachers were confused and unsure what UD was, or what the difference between UD education and special needs education was. Therefore, it is necessary to figure out the concept of UD education. Although UD education and special needs education are not equal, the notion of UD may have much potential to improve special needs education. For examples, UD might provide better practices for students with high functioning developmental disabilities and it may also cover a gap between regular education and special needs education. To conclude, UD education may be useful as first intervention and special needs education may take the role of being effective additional support.
著者
山下 晋
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.37-47, 2006-02-28

本論文では,チェルニー(Carl Czerny 1791〜1857)練習曲の音楽的な練習法について考察した。一般的にチェルニーの練習曲は単に機械的な指練習という印象が強く,音楽的な楽曲とは程遠いものであると認識されている。確かに,音楽的に見ると決して名曲といえるものは少ないが,この練習曲集には古今の名曲の演奏のための音楽的なエキスが多数詰まっている。これをうまく引き出すことにより,機械的なテクニックではなく音楽的テクニックに昇華できることを,様々な事例を挙げて紹介した。
著者
雲井 未歓 渡邉 流理也 小池 敏英
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.89-101, 2005-03-25

本研究は,高機能広汎性発達障害児14名を対象として行われた集団指導の内容を評価し,その適合性を,対象児の行動特性との関連で明らかにすることを目的とした。14回の指導についての評価結果を,指導のねらいごとに整理して,主成分分析した。その結果3つの成分が抽出され,それぞれ,集団活動への積極的関与,場面理解と自己統制,集団の楽しさへの志向性を反映することが指摘できた。対象児の行動特性は,保護者に対する質問紙調査によって検討した。これらの結果から,対人関係の形成が良好な児では,集団への参加が積極的であるが,言語発達の遅れやこだわりがある場合には,場面理解と自己統制を要する活動で,支援の必要性が高いことが指摘された。また,行動上の困難が全体として少ない児では,集団場面での自己統制がなされやすい一方,集団での積極的な行動や,楽しんで参加することを支援する必要性が指摘された。
著者
有倉 巳幸
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.29-41, 2011

本研究は、中学生の仲間集団にみられる排他性を、排他性欲求と排他性規範という2 つの要因からとらえ、学級適応感、自身の所属する仲間集団への適応感(自集団適応感)だけでなく、集団内地位やいじめに関する認知に及ぼす影響を検討することを目的とした。方法としては、架空のシナリオを用いた実験を行った。排他性規範(高・低)×排他性欲求(高・低)からなるシナリオを読ませて、登場人物の立場に立って、学級適応感や自集団適応感を評価してもらった。また、客観的な立場に立って、集団内地位やいじめに関する質問に回答してもらった。その結果、排他性規範の高い集団は、低い集団よりも学級適応感が低いと評価され、集団内に地位の差が生じ、いじめが起こりやすいと評価されていた。
著者
堀田 竜次 假屋園 昭彦 丸野 俊一 HORITA Ryuji KARIYAZONO Akihiko MARUNO Shunichi
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.137-153, 2007

本研究の意義は,次の4点である.1点目は,道徳の時間の特質を反映したルーブリックを初めて作成することができたという点である.2点目は,評価観点を価値理解・自己理解・志向性にしたことで妥当性のあるルーブリックになったという点である.道徳の時間の特質を反映させた評価観点にしたことによって,道徳的価値の自覚の深まりを評価することができるようになった.3点目は,授業改善に向けての方略及び他教科・領域等,学校生活全般にわたる指導改善についての具体策を繰ることができるようになったという点である.4点目は,低・中学年や中学校,他の道徳の内容においても使えるルーブリックの様式になったという点である.
著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.137-163, 2005-03-25

斎藤喜博(1911-81)が学校づくりをすすめた群馬県島小学校(1952-63)では,運動会や学芸会など学校行事のすすめ方を"授業"と同様に発想し,展開していた。授業においては,教師と児童との接点に最大の関心を持ち,島小の教師たちは,児童の可能性をひらく教育実践にうちこんでいたが,同様にして,学校行事の運営にあたって,児童がのびのびと表現活動を展開するよう教材や指導上の工夫をすすめ,特に,児童の表現の事実から指導の展開を工夫していくということについて,舞台演劇の概念である"演出"ということばを使っていた。このことは,動的な教授・学習過程の内実を教師たちがとらえるために必要だったのであり,"みる"ということばとともに,島小独自の実践概念であった。