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"ソ連側が激怒したのは、イギリスの二軍外交が実際には二重外交ではなかった""ミュンヘン協定直後の史料を見ると、蚊帳の外に置かれたとはいえ、ソ連側がまだ英仏に期待をかけていたことがわかる" →論文

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wikipediaの「ミュンヘン会談」が引用している法政大学の島田顕の論文(2011) https://t.co/417ucuQbQc を読むと、ミュンヘン会談でイギリスが妥協した動機は戦争の回避だった、と読める。 ここから学ぶのは、ウクライナ情勢でロシアの言い分を認めても、さらに要求がエスカレートするっつぅことよね https://t.co/w4l3Saw6oq

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