- 著者
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殷 志強
- 出版者
- 新潟大学
- 巻号頁・発行日
- 2012
第六章では、関東軍の主宰により作られた大奉天都市計画の実行や満洲国期における瀋陽の社会変容を取り上げる。とくにその時期の奉天市政発展の成果や問題を総括的に考察した。まず奉天の特別市制問題や治外法権の撤廃問題など奉天市の発展に関する重要な問題を考察し、日本と満洲国側の微妙な相違点を明らかにした。満洲国の成立により、奉天市の発展は日本の意志に従属せざるを得なかったが、傀儡の立場にいた閻市長を中心とする一部の満洲国官吏は一定の自主権を求め、日本と協力しながら奉天の発展をはかろうとした。そのような傀儡政権の中に一定程度の自立を求めることは満洲国期の奉天都市発展のもう一つの重要な特徴である。また、満洲国期における大奉天都市計画の施行の実態を考察し、道路の敷設、奉天市内交通の整備、水道の進展の状況を検討した。これらの考察を通してさらに奉天の社会変容を明らかにした。第七章では、これまでほとんど利用されていなかった『日本関東憲兵隊報告集』といった資料を分析しながら、民衆の日常生活の角度から都市の発展を検討する。満洲国期における奉天民衆の生活状況がどのように変化したかを考察し、とりわけ関東憲兵隊が押収した通信に隠された日中戦争期における奉天市民生活の実態を解明した。戦争の拡大により、多くの物資が日本に徴収され、奉天ではますます物資不足の状況が深刻化した。米や小麦粉の配給はなくなるのみならず、高粱、粟など代用食糧の配給も徐々に少なくなった。市民はやむを得ず闇市場の高価な食糧に依存した。しかも、餓死を待つという最悪の状況に陥った市民も数少なく存在した。市民の困窮した生活と異なり、一部の日本軍人は贅沢な生活をしていたことも資料から読みとれる。とにかく、本論文は近代奉天市の都市発展と市民生活を三つの段階に分けて、それぞれの時期の特徴を明らかにしつつ、日露戦争から終戦までの奉天市の発展図を描いた。