著者
眞島 英壽
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

松本達郎(1913 – 2009)は約70年に渡る研究活動を通じて,日本の地球科学界を学術的・精神的に牽引した.松本の学術貢献は層序・古生物学を中心として多岐に渡るが,1977年九州大学退官後に研究領域を中生代古生物学に狭めたため,その実像が忘れ去られつつある.松本の退官前の10年間に当たる1967年~1977年にかけて,彼が担当した九大層序学講座は,日本におけるプレートテクトニクス導入,特に四万十帯への付加体論の導入に重要な役割を果たした.一方,松本の東大同級で,プレートテクトニクスに批判的な立場を取った井尻正二は,1949年に九州大学から博士号を取得している.また,東大の先輩である小林貞一の佐川造山輪廻に対して,松本は一貫して批判的な立場を取った.松本の地質哲学・思想を知ることは,戦後の日本地質学史や望ましい地球科学の方法論の理解に重要である.本講演では,松本の著作及び直接交流のあった方々からの伝聞・聞き取りに基づき,松本が日本におけるプレートテクトニクス受容に果たした役割について考察する.松本は1964年に地向斜に焦点を絞った研究を開始し,多くの研究者を組織して「地向斜堆積物の総合研究」(1967 – 1969)を行った.その成果は二つの地質学論集にまとめられている(松本,1968; 松本・勘米良, 1971).1972年には,白亜紀初頭の東アジアにおける大規模珪長質火成活動の説明という問題はあるものの,プレートテクトニクスを積極的に評価すべきであると表明した(松本, 1972).同年には勘米良亀齢・岡田博有を地向斜堆積作用国際会議(ウィンスコン州マディソン)に派遣している.1974年に九大大学院に入学した坂井卓は初めの課題として,世界の変動帯についてまとめることを指示されている.1975年から坂井,勘米良によって日南層群の研究が公表されるようになり,付加体論構築への動きが始まる.日本の造構論はStille学派の影響が大きく,ユーラシア大陸側からの営力を仮定して日本の造構進化を理解しようとする傾向が根強くある.四万十帯への付加体論の導入は,造構作用の営力源の大陸から大洋への転換というパラダイム転換でもあった.松本は対馬の現地調査(1943-44)に基づく対馬―五島断層の提唱時から,白亜紀末以降,大陸と日本が同断層によって画され異なる造構区に属すると理解していた(松本, 1969).また,北薩の屈曲,日南の綾状擾乱および四国海盆の北西縁がほぼ一直線になることを指摘すると共に,四国海盆の形成が前期~中期中新世であることを予測している(松本, 1961).このように,九州が大陸と異なる造構区に属することを理解するとともに,九州の地質構造と海洋の関係性に注目した松本の洞察力が,九大層序学講座においてプレートテクトニクスの受容がいち早く行われた原因である.九大層序講座におけるプレートテクトニクスの受容は,流行のa prioriな仮説の受容としてではなく,九州の地質の特徴を説明しうるposterioriな仮説の受容として松本を中心として行われた.以上から,松本が日本の地質学分野でのプレートテクトニクス受容の初期段階における推進力であったと結論づけることができる.

言及状況

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JpGU-AGU Joint Meeting 2017/松本達郎の地質哲学と思想(1): 日本におけるプレートテクトニクス導入での役割 https://t.co/Cf8ZUJVhBx

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