著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.37-76, 2005-03

本稿は、2004年3月23日に西南学院大学において開催された「卒業生のための神学部シンポジウム」における私の発題を拡大したものである。このシンポジウムは、教授会における片山寛教授の提案を受けるかたちで、神学部主催で開催された。片山氏は、氏が西南学院大学神学部の学生だったころに、とくに寺園喜基氏と私青野との間でなされた「論争」によって大いに刺激を受けたとのことであるが、そのような「論争」は神学の学びにとって基本的・本質的なものなので、ぜひ今の学生にも、とくに卒業を目前にしている学生たちにも聞かせたい、と提案された。私自身は、もはや寺園氏や私などが出る時代ではなく、他ならぬ片山氏たちの世代の人たちこそが「論争」を展開したらよいではないか、と辞退したのだが、どうしても、ということで、発題を引き受けざるをえなかった。シンポジウムのテーマとしては、寺園氏が「障害者イエス」という論文を『ひびきあういのち』に発表しておられたので、それを取上げて議論しよう、ということと、神学部を卒業していく神学生の一人、水野英尚氏が、氏の長女で重度の障害を与えられているひかりさんのバプテスマの問題との関連で貴重な提案をしており、かつその問題を彼の卒論においても展開したということがあったので、彼をもパネリストに加えて、重症心身障害者にとってのバプテスマの問題を視野に入れながら、「障害」の問題について話し合おう、ということが決められた。そして寺園氏には、上述の「障害者イエス」における内容をさらに展開する形で話していただく、ということになった。私にはもう寺園氏と「論争」することへの意欲はあまりなく、これまでの「論争」を振り返ってみても、自らの若気の至りと思われる部分が多くあるので、その誤りは再び犯すまいと思ってはいたのだが、結局以下の文章が示しているように、やはりかなり激しい内容になってしまった。とくに教義学的思考に安らぎを覚えておられる向きには、不快に思われるところが多いだろうとは思うが、どうもこのスタイルから私は抜け出すことができないようである。しかし、上述したように、まさにそのスタイルを貫くようにとの要請を片山氏などから受けたという事情もあったので、読者のご寛恕を乞う次第である。以下に記す寺園氏の論文の頁の指示は、他の指示がない限り、すべて上掲の「障害者イエス」のそれを指している。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.25-38, 2006-03

玉井忠純氏は、1938年生まれで、東京大学法学部を卒業後、1998年に退職するまで三井信託銀行に勤務した。宮司の息子でありながら、大学在学中から文語訳聖書に親しんでいたが、福岡勤務中の1980年に、私が協力牧師をしている平尾バプテスト教会でバプテスマを受けた。現在は津田沼バプテスト教会の会員である。著書に『パウロ様への恋文』(文芸社、2000年)があるが、その経歴が示すとおり、玉井氏はギリシア語の専門家ではない。しかし、大いなる熱意をもって古典ギリシア語をまず学び、その上で新約聖書のギリシア語の原典を丹念に読んでいる。毎夏信州伊那谷において私青野が講師として招かれて開催されている新約聖書原典講読塾(主催者はそれを青野聖書塾などと呼んでいるが)の、熱心な参加者でもある。そのような学びの過程で、玉井氏は土岐健治氏の『[改訂新版]新約聖書ギリシア語初歩』(教文館、1999年)からも学び、そこから以下のような批判文を認め、さらに、極めて独自な「原初的ギリシア語動詞に関する推論」をも展開した。玉井氏の文章を私青野が逐一監修したので、文責は私にも等しくあるが、「素人」の玉井氏の述べる内容には傾聴すべきものが多く含まれていると思うので、以下に私の責任で本稿を本『神学論集』に掲載することにした。もちろんこのような批判は、本来、日本語の、そしてまた欧米語の他の多くのギリシア語文法書との折衝の中で比較検討しつつ展開されるべきであることは言うまでもないが(もっとも玉井氏は、すでに大貫隆著『新約聖書ギリシア語入門』〈岩波書店、2004年〉への批判文をも書き上げている)、しかしこれ自体でも大きな意味をもっていると思われる。議論の深化へのきっかけの提供となり得るならば、それはわれわれの喜びとするところである。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-35, 2008-03

昨年度(二〇〇六年度)後期には、私は講義・ゼミ、そしてさまざまの大学内の職務から解放される国内研究を与えられましたので、私のいない教授会で決まりましたこの二〇〇七年度の開講講演の担当は、当然の義務として受けさせていただきました。そして、二〇〇七年三月にもたれました昨年度の「卒業生のための神学シンポジウム」では、私の「十字架の神学」に対する天野有教授および片山寛教授の批判が展開され、それに対して私が応答することを求められましたので、そのようにいたしましたが、議論が十分になされたとは言い難いように思われますので、そこでテーマとなりました「贖いの思想」、それは多くの場合「贖罪論」と同一のものとして扱われるのですが、それとの関連における「十字架の神学」について、この開講講演でさらに展開してみたいと思った次第です。