著者
松見 俊 マツミ タカシ Takashi MATSUMI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.109-198, 2011-03

わたし自身,元来組織神学を専門分野として研究し,西南学院大学神学部では実践神学を教える者であり,歴史的研究は門外漢ではあるが,2010年度前期にプラハに在外研究を許された者として,プラハとチェコの歴史にとって避けることのできない重要な人物としてのヤン・フスから彼の神学思想を聞きたいと考えた。この論文では,1.フスの生涯を当時の社会的,哲学的,教会史文脈で考え,2.彼の主著といわれている『教会論』をまとめて提示し,3.彼の生涯と『教会論』を中心とした著作群から見えてくる神学思想の特徴を考察・整理しようと試みるものである。プロテスタント宗教改革は,マルティン・ルターが1517年10月31日,ヴィッテンベルクの教会の扉に「95箇条の提題」を貼り出した時から始まったとみなされがちである。むろん,バプテストの場合は,それ以前のバルタザール・フプマイヤーやアナバプテストの歴史などにも光を当ててきたのである。もっとも,「宗教改革」そのものを無視して,聖書時代に遡ってしまう極端な立場も存在してきた。そのような極端な歴史理解は別にして,ルターの宗教改革は「始まりというより,むしろ,その時点に先立つ二世紀続いた運動の結果」であったと考えるのが適切であると思える。ヤン・フスの教会改革運動も,彼自身,かなり意固地で個性的な性格であったように見受けられるが,ある才能ある個人の孤立した運動というより,この時期の教会改革運動の流れの一部分として理解されるべきであろう。ボヘミアの哲学者・神学者であり,「宗教改革以前の宗教改革者」と呼ばれるヤン・フス(Jan Hus 英John Huss,独Johannes Huss)は,今日でもその評価が分かれている。異端として断罪され,火刑に処せられたフスは,本当に異端思想の持ち主であったのだろうか,あるいは,今日,聖者として名誉回復がなされるべきなのであろうか。そして,いずれにもせよ,今日に生きるわれわれに,フスが死をかけてまで問い掛けようとしたメッセージは何であったのだろうか。われわれキリスト者は,歴史の中から「危険な記憶」としてのイエスの物語と共に,いかなる「記憶」を心に刻み,また,伝承すべきであろうか。これがこの論文の基本的テーマである。
著者
青野 太潮 Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.19-62, 2010-03

以下の論考は、2008年11月15-16日に御殿場の東山荘において開催された「学生YMCA 創立120周年記念フォーラム」において「いま、聖書から私たちは何を聴くか――『十字架の神学』と贖罪論――」と題して私が語った主題講演に大幅な加筆・訂正を施したものである。この講演のテープ起こしは、すでに2009年11月30日発行のこのフォーラムの報告書『いま、世界の中で、われらの信の根を問う』(YMCAスタディシリーズ23)、日本YMCA同盟、19-49頁、に掲載されているが、あまりにも舌足らずの部分が多いので、またその報告書を入手するのが困難な方も多いのではないかと思われるので、その改訂版をここに掲載させていただくことにした。しかし改訂したとは言え大幅な重複があるのは事実なので、それについては読者のご寛恕を乞う次第である。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.37-76, 2005-03

本稿は、2004年3月23日に西南学院大学において開催された「卒業生のための神学部シンポジウム」における私の発題を拡大したものである。このシンポジウムは、教授会における片山寛教授の提案を受けるかたちで、神学部主催で開催された。片山氏は、氏が西南学院大学神学部の学生だったころに、とくに寺園喜基氏と私青野との間でなされた「論争」によって大いに刺激を受けたとのことであるが、そのような「論争」は神学の学びにとって基本的・本質的なものなので、ぜひ今の学生にも、とくに卒業を目前にしている学生たちにも聞かせたい、と提案された。私自身は、もはや寺園氏や私などが出る時代ではなく、他ならぬ片山氏たちの世代の人たちこそが「論争」を展開したらよいではないか、と辞退したのだが、どうしても、ということで、発題を引き受けざるをえなかった。シンポジウムのテーマとしては、寺園氏が「障害者イエス」という論文を『ひびきあういのち』に発表しておられたので、それを取上げて議論しよう、ということと、神学部を卒業していく神学生の一人、水野英尚氏が、氏の長女で重度の障害を与えられているひかりさんのバプテスマの問題との関連で貴重な提案をしており、かつその問題を彼の卒論においても展開したということがあったので、彼をもパネリストに加えて、重症心身障害者にとってのバプテスマの問題を視野に入れながら、「障害」の問題について話し合おう、ということが決められた。そして寺園氏には、上述の「障害者イエス」における内容をさらに展開する形で話していただく、ということになった。私にはもう寺園氏と「論争」することへの意欲はあまりなく、これまでの「論争」を振り返ってみても、自らの若気の至りと思われる部分が多くあるので、その誤りは再び犯すまいと思ってはいたのだが、結局以下の文章が示しているように、やはりかなり激しい内容になってしまった。とくに教義学的思考に安らぎを覚えておられる向きには、不快に思われるところが多いだろうとは思うが、どうもこのスタイルから私は抜け出すことができないようである。しかし、上述したように、まさにそのスタイルを貫くようにとの要請を片山氏などから受けたという事情もあったので、読者のご寛恕を乞う次第である。以下に記す寺園氏の論文の頁の指示は、他の指示がない限り、すべて上掲の「障害者イエス」のそれを指している。
著者
片山 寛 カタヤマ ヒロシ KATAYAMA HIROSHI
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.29-40, 2016-03

1933年から1945年までのいわゆるナチズムの時代のドイツのキリスト教会について,以前は,告白教会を善玉とし,ドイツ的キリスト者を悪玉とする単純な対立図式だけで論ずる傾向が強かった。しかし近年はむしろ,この時代を生きたもっと多様な教会像を検討する論考が多く見られるようになった。たとえば,Philipp Thull (Hrsg.), Christen im Dritten Reich)においては,これまでにもよく見られた,DEK(ドイツ福音主義教会)内部の上記の闘争と,カトリック教会内の諸問題の検討の他に,いくつかの教派Neuapostolische Kirche,Mennoniten, Pfingstbewegung, alt-katholische Kirche におけるナチズム時代が,それぞれの著者によって論じられている。そしてその最後に,Karl Heinz Voigt)は,「自由教会」と総称で呼ばれる15の小教派(上記とも重なるが,メノナイト,バプテスト,バプテスト系の兄弟団,エリム教会,メソジスト,福音主義共同体,ヘルンフート兄弟団,自由福音教会,セブンスデイ・アドヴェンティスト,古ルター派教会,古カトリック教会,救世軍,ミュールハイム連盟,神の教会,(ペンテコステ系の)フォルクスミッシオン)について,それらがDEKの告白教会運動から疎外された状況を論じている。自由教会はナチズムと闘うことができなかったことを批判されることが多く,自由教会自身がそれについて苦い後味を抱いているのであるが,それは彼らのせいだけではなかったというのである。この発表で特に取り上げたいのは,ドイツのバプテスト同盟Bund der Baptistengemeinden(1942年にいくつかの小教派を統合して,福音主義自由教会同盟Bund Evangelisch-Freikirchlicher Gemeindenに改称した。現代もバプテストはこの名称を使用している)がナチズムの時代をどのように生きのびたのかについてである。それを私は,Günter Balders の論文「ドイツ・バプテスト小史」の第5章「第三帝国と第二次世界大戦の時代(1933-1945)」)にもとづいて紹介したい。その上で,自由教会としてのバプテストが,どのようなものであり,どのような点で優れ,またどのような点で限界を持っていたかを考察したいと思う。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.25-38, 2006-03

玉井忠純氏は、1938年生まれで、東京大学法学部を卒業後、1998年に退職するまで三井信託銀行に勤務した。宮司の息子でありながら、大学在学中から文語訳聖書に親しんでいたが、福岡勤務中の1980年に、私が協力牧師をしている平尾バプテスト教会でバプテスマを受けた。現在は津田沼バプテスト教会の会員である。著書に『パウロ様への恋文』(文芸社、2000年)があるが、その経歴が示すとおり、玉井氏はギリシア語の専門家ではない。しかし、大いなる熱意をもって古典ギリシア語をまず学び、その上で新約聖書のギリシア語の原典を丹念に読んでいる。毎夏信州伊那谷において私青野が講師として招かれて開催されている新約聖書原典講読塾(主催者はそれを青野聖書塾などと呼んでいるが)の、熱心な参加者でもある。そのような学びの過程で、玉井氏は土岐健治氏の『[改訂新版]新約聖書ギリシア語初歩』(教文館、1999年)からも学び、そこから以下のような批判文を認め、さらに、極めて独自な「原初的ギリシア語動詞に関する推論」をも展開した。玉井氏の文章を私青野が逐一監修したので、文責は私にも等しくあるが、「素人」の玉井氏の述べる内容には傾聴すべきものが多く含まれていると思うので、以下に私の責任で本稿を本『神学論集』に掲載することにした。もちろんこのような批判は、本来、日本語の、そしてまた欧米語の他の多くのギリシア語文法書との折衝の中で比較検討しつつ展開されるべきであることは言うまでもないが(もっとも玉井氏は、すでに大貫隆著『新約聖書ギリシア語入門』〈岩波書店、2004年〉への批判文をも書き上げている)、しかしこれ自体でも大きな意味をもっていると思われる。議論の深化へのきっかけの提供となり得るならば、それはわれわれの喜びとするところである。
著者
須藤 伊知郎
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.199-238, 2014-09-01

親愛なる神学部長の片山さん、親愛なる同僚、学生の皆さん、そしてここにお集りの皆さん、親しくお招きを頂きまして大変有り難うございます。好意的なご紹介を頂き、心から感謝いたします。実は何とおっしゃっているか分からなかったのですけれども(笑)。そしてこの西南学院大学で講演をする機会を頂き、本当に有り難うございます。これは新約聖書神学の中心的なテーマについての講演です。すなわち、史的イエスとケーリュグマの関係、つまり、初期キリスト教のイエス・キリストについてのメッセージおよび史的な研究と信仰の関係がテーマです。キリスト者にとってイエスははるかに単なる人間以上のものです。しかし何がこの〔単なる人間以上の〕「余剰価値」なのでしょうか?どのようにして、最初のキリスト者たちは彼をそれほど〔単なる人間〕より以上のものであると看做すことが可能になったのでしょうか?どのようにして私たちは、史的イエスからケーリュグマ〔宣教〕の神の子への移行を理解することができるでしょうか?これは一つの史的な問いでもあり、また一つの神学的な問いでもあります。すなわち、史的な問いによって私たちは史的現実と触れ合うことを期待し、神学的な問いによって神と触れ合うことを期待するのです。いずれの場合も接近の仕方は、私たちがその問いに〔向かう時に最初から〕持ち込む姿勢に左右されます。私たちは自分たちの資料が、史的方法の助けを借りて読めば、史的現実への道を拓いてくれる、と信じているはずです―― 資料の向こう側に歴史を認識することが果たしてできるのかというポストモダンの懐疑があるにもかかわらず。同じように、私たちは一つの宗教的な姿勢が(たとえ私たちにとってそれが科学的な方法のようには自由にならないとしても)神的な現実との触れ合いを可能にする、と信じているはずです―― 神は人間の想像の産物かもしれないという現代の宗教批判と懐疑があるにもかかわらず。現代神学の一つの決定的な問題は疑いなく、現実に対する史的(あるいは経験的)な接近の道から神学的な接近の道への移行です。この移行は私の見るところでは、私たちの姿勢と認知的な枠組みにおける一つの変化にかかっています。しかしそもそも、私たちがイエスを史的に見る場合と彼を神学的に解釈する場合とでは、何が変わるのでしょうか?これが私たちの問題です。史的・批判的な方法論は、一方で私たちが一次資料の助けを借りて答える一連の問いと、他方で〔それらに対して〕可能な答えの〔解釈をする〕ための一連のカテゴリーで構成されています。イエス研究の中では、最近30年の間に一つの方法論の転換が起りました。1950年代に始まった研究は、真正な、イエスに遡る素材を発見する手段として「差異の基準」〔criterion of dissimilarity〕を用いて作業を遂行しました。〔そこで立てられた〕問いは、イエスが一方でユダヤ教と他方で初期キリスト教と違っているのはどの点なのか、どの伝承がユダヤ教においても初期キリスト教においても類を見ないものなのか、というものでした。類例のない伝承は史的〔に真正である〕と判断され、一貫性の基準〔criterion of coherence〕の助けを借りて補われました。この基準は、類例のないイエス伝承と調和している他のすべての伝承を史的であると看做すものでした。その結果〔史的と判断されて残ったもの〕は、比類の無い啓示の主張という観点で解釈されました。この方法によれば、史的な姿勢から神学的な姿勢への移行は問題とはなりませんでした。史的な接近方法〔自体〕がすでに〔史的な類例の有無を問うたわけですから〕、歴史を超越していると思われる伝承に焦点を当てていたのです。しかし時が経つにつれて、差異の基準は史的蓋然性の基準に取って代わられました。イエスは今やユダヤ教の歴史の枠内で、そして初期キリスト教の出発点として解釈されます。私たちが今や問うのは、何がユダヤ教の文脈における個別的な現象として理解できるものなのか(すなわち、文脈上の蓋然性〔contex-tual plausibility〕)、そして何が初期キリスト教の成立と史的イエスについての資料の多様性を説明できるものなのか(すなわち、影響史的蓋然性〔effec-tive plausibility〕)、ということです。私たちがここで探しているのは、初期キリスト教の全般的な傾向に反する孤立したモティーフに加えて、初期キリスト教のイエス伝承の様々な流れに繰り返し現れるモティーフです。史的蓋然性の二つの観点―― 一方でユダヤ教の中での文脈上の蓋然性と、他方で初期キリスト教の中での影響史的蓋然性―― は原則として独立しています。この方法論〔を採用すること〕によって私たちは、初めから人間としてのイエスに史的に接近する道を優先させます。すなわち、ユダヤ教の歴史に合わないものは、真正ではあり得ません。逆に、この〔ユダヤ教の〕歴史に合うものだけが、史的イエスに帰されることができます。イエスはユダヤ教の歴史の産物であり、同時に初期キリスト教の(必ずしも唯一のではないにせよ)一つの起源であるはずなのです。史的イエスから初期キリスト教のケーリュグマへの移行を分析する際、私たちはまず史的な問いに取り組みます。すなわち、何をイエスは自分自身について語ったのか、何を最初のキリスト者たちは彼について語ったのか、なぜ彼(女)らは、イエスが自分自身についてそもそも語ったであろうことよりはるかに多くのことを彼について語っているのか、ということです。私たちはイエスの神性についての発言を理解しようと試みているにもかかわらず、これらは史的な問いであって神学的な問いではありません。しかし、これらの史的な問題と取り組む中で、私たちは繰り返し神学的な問題に出くわすでしょう。それはすなわち、何を他の人々がかつてイエスと神について考えていたかということだけでなく、何が今日イエスと神について妥当するのかということも問う、ということです。講演の終わりに、私はこの史的な接近方法から神学的な接近方法への移行について直接考察するつもりです。私は認知宗教学に基づいて、この移行を進める一つの試みをスケッチするつもりです。これは、宗教に対する非常に世俗的な、そして非宗教的ですらあるアプローチではありますが、私たちが歴史から信仰への移行を理解することを助けてくれるでしょう。
著者
青野 太潮 アオノ タシオ Tashio AONO
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-35, 2008-03

昨年度(二〇〇六年度)後期には、私は講義・ゼミ、そしてさまざまの大学内の職務から解放される国内研究を与えられましたので、私のいない教授会で決まりましたこの二〇〇七年度の開講講演の担当は、当然の義務として受けさせていただきました。そして、二〇〇七年三月にもたれました昨年度の「卒業生のための神学シンポジウム」では、私の「十字架の神学」に対する天野有教授および片山寛教授の批判が展開され、それに対して私が応答することを求められましたので、そのようにいたしましたが、議論が十分になされたとは言い難いように思われますので、そこでテーマとなりました「贖いの思想」、それは多くの場合「贖罪論」と同一のものとして扱われるのですが、それとの関連における「十字架の神学」について、この開講講演でさらに展開してみたいと思った次第です。
著者
松見 俊
出版者
西南学院大学
雑誌
西南学院大学神学論集 (ISSN:03874109)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.127-146, 2005-03-11