著者
井 真弓 イノモト マユミ Mayumi INOMOTO
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-22, 2014-03

藤原定家によって著された『松浦宮物語』に対しては、作者論の立場で分析が加えられることが多く、物語としての価値が正しく認められてこなかった。本作品は、弁少将が鄧皇后に未練を残しながらも帰国し、復活を遂げた華陽公主とともに一時は平安を得ながらも、形見に渡された鏡に映る鄧皇后の姿に心乱されるという場面において、省筆文によって唐突に終了する。このような終焉が一見不自然であるがゆえに、収拾がつかなくなった作者が半ば強引に筆を擱いたとする未完成説も有力であった。しかしながら、この弁少将帰国後の場面は、実は本物語の最大の主張点を含んでいるといっても過言ではない。 神奈備皇女は、弁少将が唐に渡った後も秘かに彼のことを想い続けていたが、一方の弁少将は唐において華陽公主や鄧皇后といった「より素晴らしい」女君との出会いを経て、帰国後にはもはや神奈備皇女への想いを残してはいなかった。この冷淡な弁少将の仕打ちを神奈備皇女側から読み解くことによって、『伊勢物語』二十四段を彷彿とさせる悲恋譚と捉えることができる。華陽公主は弁少将帰国後に彼の妻となり、子も成して揺るぎのない立場を確立したはずが、弁少将の心変わりによって自らの立場が実は危ういものであることを認識する。このような華陽公主の心理は、本文の表現上においても『源氏物語』の紫上に通じるものであり、そのような苦悩が公主の身にも将来起こり得ることを読者に類推させる形をとっている。鄧皇后は梅里の女として弁少将と逢瀬を持っていたが、彼の幸せを願って帰国を推進し、自ら別れを決意している。「相手の幸福のために自らが身を引く」という価値観は、鎌倉期の中世王朝物語に多く見られる「悲恋遁世譚」の男主人公の姿と重ね合わせることが可能である。 従来の解釈では、物語の一貫性を損なうものとして否定的に捉えられてきた終盤の弁少将帰国後の場面について、このように三人の女君たちの立場に基づき考察することにより、物語全体を貫く主題が三者三様の〈女の嘆き〉であることが判明した。神奈備皇女は「相手との恋愛関係の不成立」を嘆いたのに対し、華陽公主では「成立した恋愛関係の中で自らの不遇な立場を嘆く」ことへと変遷し、さらに鄧皇后は「恋愛関係において自らを客観視し、相手の幸福のための自己犠牲を厭わない」という、より深化した対人関係が描写されていることが明らかとなった。