著者
オットー ハロー 鈴木 彰雄
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.117-141, 2016-06-30

「人間の尊厳」(基本法1条1項)は人(Person)の本質的メルクマールであるから,自律的な死の決断を尊厳ある死の決断と同視することはできない。尊厳ある死を問題にする場合に考慮すべきことは,適切な死の看取りである[以上Ⅰ]。 自殺幇助の不可罰性が生命保護の保障人にも当てはまるか否かについて議論がある。その保障人的地位は自殺者の自己答責的な決意にその限界を見出す。保障人的地位といえども,保護されるべき者に対する「後見人としての地位」を基礎づけるものではないからである[以上Ⅱ]。 自殺関与と要求による殺人の区別について,判例と一部の文献は,部分的に修正された行為支配説を拠り所とする。たしかに,自分自身を殺すことと自分を殺させることは同じでないが,オランダやベルギーで積極的な臨死介助が拡大的に認められている現状には問題がある[以上Ⅲ]。 自殺を決意した者の自由答責性について,「免責による解決」と「同意による解決」が主張されているが,前者の見解には問題がある。法的な意味では答責的に行為するが,判断力ないし理解力が損なわれている者の自殺は,法共同体の連帯的な救助によって阻止されるべき事故である。自由答責的になされたとはいえない自殺を事故(刑法323a条)と解釈し,救助行為の必要性と期待可能性によってその可罰性を限定するべきである。そのために,自殺は刑法323c条の意味で事故であるということを法文で明確にすることが望ましい[以上Ⅳ]。 近年の議論は,組織化された自殺幇助の問題に集中しているが,営利的な自殺幇助を刑法によって禁止することは必ずしも得策ではない。自殺の介助は「生への介助」と「死にぎわの介助」を意味するべきもので,「死への介助」であってはならない。医師らは今日,合法的な臨死介助の可能性を手にしているので,緩和医療とホスピス医療を拡張するという方向を目指すべきである[以上Ⅴ]。