著者
キム サンヒョプ
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ3 『陵墓からみた東アジア諸国の位相―朝鮮王陵とその周縁』
巻号頁・発行日
pp.63-86, 2011-12-31

朝鮮王陵の石室玄宮は,初期から造成が行われた。またそれまでの古制が研究・整理され,世宗代には『五礼儀』が編纂された。その後,世祖の遺命により,玄宮は石室でなく灰隔で造成されるようになった。 石室玄宮には単陵と双陵,合葬陵があるが,築造に使用される石材には違いがある。単陵と双陵は,壙中に旁(傍)石と北隅石,蓋石,加置蓋石,門立石,門閾石,門扉石,門倚石などが置かれる。石室の上部には蓋石が置かれ,蓋石の下面は,北隅石と両旁石,門立石などと組み合うよう,加工されている。 合葬陵では単陵の部材に加え,仕切として隔石が設けられる。隔石は中央に窓穴が両側に空けられ,石室中央に南北方向に置かれる。隔石と北隅石や,北隅石と両旁石は,抜けたり倒れたりしないよう,接合部が加工されている。このように,単陵と双陵は蓋石を中心に玄宮が造成され,『五礼儀』編纂時の合葬陵は,隔石を中心に東・西室を分ける玄宮が造成された。 玄宮の下部には床面が設けられるが,この床面は,単陵と双陵の場合は雑石と土で突き固められ,合葬陵では炭粉と三物(漆喰,細砂,黄土を混ぜたもの),銅網などを用いて堅固に造成された。こうした方法は『世宗実録五礼儀』や『国朝続五礼儀』に記載されており,古制の研究により生み出された石室玄宮の発展型と言えよう。 いっぽう世祖の光陵以降,王陵には石室が用いられなくなり,「灰隔」の玄宮が登場する。灰隔とは朱子が著した『家礼』に登場し,朝鮮時代初期における儒教理念の浸透とあいまって広く普及していった。 灰隔の玄宮は,まず壙を掘り,壙の下で炭末に火をつけて焼き,三物で床面を突き固める。次に傍灰を設けるが,その方法は二つに大別される。こうした工法は石室玄宮とは異なるが,概念は同じものと考えられ,旧禧陵の発掘調査によっても確認されている。