著者
スクーチナ イリーナ
出版者
北海道大学大学院文学研究院北方研究教育センター
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.23-42, 2022-03-25

本研究は、17世紀にカムチャツカ半島を訪れたロシア側の探検家がまとめた資料を歴史的な背景を配慮しながらエスノグラフィーとして読むことによって、ロシア人は当時、カムチャツカ半島南端とカムチャツカに近い千島列島の島に居住していたクリル民族をどのように捉え、どのように表象したかということに焦点を当て、その意味と理由を考察することを目的とする。カムチャツカ半島は、17世紀の半ばにロシア帝国のコサックにより「発見」され、1697年にアトラソフの探検隊によってロシア領とされた。ロシアの一部となった他のシベリア地域のように、カムチャツカもあらゆる側面から調査の対象となった。もちろん、ロシア人はカムチャツカの先住民族にも興味をひかれたので、その身体的な特徴や言語、生活様式についても記述している。その先住民族の中の1つが、カムチャツカ南端と、半島から南に延びる千島列島の島々に住む「クリル人」とロシア人に呼ばれていた民族であった。19世紀の初めにその民族の姿がカムチャツカから消滅したが、カムチャツカを探検した人からの記述が少々残されている。その内の1つがコッサックのウラジーミル・アトラソフの『第一の話』、『第二の話』として知られている報告がある。本研究では特に『第二の話』を中心に、先住民族とロシア人との関係性、また先住民族に対するロシア人の姿勢を見ていく。