著者
高倉 健一 タカクラ ケンイチ Takakura Kenichi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館調査報告 (ISSN:13406787)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.91-106, 2016-03-22

麗江古城は、少数民族・納西族の中心的な都市として約800年の歴史を持つ古都である。改革・開放政策以降、他の文化的特色を持つ都市と同様に文化資源を利用した観光開発が進められ、1997年には麗江古城の街並みが世界文化遺産に登録された。その結果、麗江古城は国内外から年間数百万人の観光客が訪れるなど観光開発による経済発展は成功したが、観光地化による生活環境の変化などによって観光開発が進められる以前から麗江古城内に住んでいた人々の多くが近隣地域に流出し、その民居を外部から来た商売人が宿泊施設や土産物屋などに改装して商売をおこなうようになった。そのため、これまで麗江古城に住んできた人々によって継承されてきた生活文化の存続が危ぶまれる状況となっている。 麗江古城のような、現在も人が居住する建物や街並みそのものが登録対象となっている文化遺産は、これまでそこに住んできた人々の生活文化によってその文化形態が形成されてきた面が大きい。また、そこに住む人々が生活の中で日々利用していることから、生活文化の変化に合わせてその形態が変容することもよくみられる事象であり、その特徴から「生きている文化遺産」とも呼ばれる。このような特徴を持つ文化遺産の保護には、生活文化が文化遺産に与える影響を考慮したうえでの保護活動が必要となる。 本稿は、生きている文化遺産の保護と活用の両立には、文化遺産に携わる住民自身が自分たちの利益や生活のために自律的に文化遺産を利用することができる環境を整えることが重要という考えについて論じる。また、時代の変化などに応じて住民の定義について再考することの必要性についても検討する。