著者
近藤 雅樹 Masaki Kondo
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.395-407, 2012-02-27

火葬後,近親者が集まり,遺骨を粉にして服用する。あるいはこれに類する行為をおこなう。そのような習俗が日本のいくつかの地域で近年までおこなわれていた。公然とではないが点在していた。 この原稿では,何人かのインフォーマントから聞いた話と,近年の報告を紹介する。そして,こうした習俗が行われていた理由について考えてみる。 主要な事例報告対象とした地域は,以下のとおりである。 兵庫県淡路島南部,愛媛県越智郡大島,愛知県三河地方西部,新潟県糸魚川市。 近親者による食屍は,アブノーマルなことに思われる。しかし,長寿を全うした者,崇敬を集めていた人物が被食対象となっていることからは,死者の卓越した生命力や能力にあやかろうとする素朴な思いが反映していることを認めることができる。最愛の妻などの遺骨をかむことに対しても,哀惜の感情が表明されている。これらの行為は,素朴な人間感情の表出であると考えてよい。
著者
小長谷 有紀 Yuki Konagaya
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.37, no.4, pp.425-447, 2013-03-29

2012 年11 月14 日,モンゴル国政府は「チンギス・ハーン生誕850 周年」記念行事をおこない,エルベグドルジ大統領は,チンギス・ハーンの末裔たちがひろく分散しているという歴史を利用して,中央ユーラシア諸国との国際的な協働的関係を強調した。1989 年の民主化以降,こうしたチンギス・ハーンをめぐる政治的な利用が活発化しており,一般にモンゴル社会でチンギス・ハーン崇拝がつよまっている。こうしたナショナリズムとむすびついた,近代的なチンギス・ハーン崇拝の起源について考察するために,本稿では,社会主義以前の中国内モンゴルで日本人によって流布されたと思われる「肖像画」と「軍歌」に着目し,協働的ナショナリズムが明示される資料をあきらかにした。
著者
楊 海英 Haiying Yang
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.39-130, 2003-07-30

「スニト部のギルーン・バートル」(Sönid-ün Gilügün Bayatur)という人物は,13 世紀のモンゴル・ハーン国時代に大いに活躍した,と年代記はそろって記述する。スニトは13 世紀の『モンゴル秘史』にも見られる有名な部族の名称である。ギルーンは名前で,バートルは「勇士」を意味する爵号である。ギルーン・バートルはまずチンギス・ハーンをまつる八白宮祭祀のなかでその存在が認められる。祭祀者たち(Darqad)にチンギス・ハーンからの恩賜を配る儀礼の場で,ギルーン・バートルの直系子孫を称する者がその祖先の功績に基づいてチンギス・ハーンからの恩賜を拝受する。八白宮祭祀のなかで,ギルーン・バートルはチンギス・ハーンに追随した「4 人のバートル(勇士)」のひとりとして位置づけられている。このような位置づけは17 世紀以降に書かれたモンゴルの年代記の記述とも一致する。 つづいて19 世紀半ば頃の清朝道光年間にギルーン・バートルはもう一度登場する。今度は八白宮の祭祀者ダルハトのひとり,ユムドルジ(Yümdorji)という人物が,自らは13 世紀のギルーン・バートルの直系子孫で,代々八白宮の祭祀者集団内のバートル(勇士)という職掌をつとめてきたと主張する。ユムドルジは税金納入をめぐってオルドスの貴族たちと対立するが,シリンゴル盟のスニト左旗の王公たちの支持をとりつけたため,ことを有利に運ぶ。スニト左旗の王公たちとユムドルジは,13 世紀のスニト部のギルーン・バートルはユムドルジの直接の祖先である,という共通した歴史的認識を有していたことから,ユムドルジを支持したのである。このように,ギルーン・バートルという13 世紀に存在したとされる人物はチンギス・ハーンの八白宮祭祀のなかでその功績がずっと認められてきただけでなく,その子孫を称する人物も広く認知されていた。モンゴルにとって,歴史あるいは歴史上の人物は決して過去のものではなく,現在を活きる存在であることが分かる。
著者
菅瀬 晶子 Akiko Sugase
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.619-652, 2016-03-31

歴史的にパレスチナと呼ばれてきた地域に建国されたユダヤ人国家イスラエルには,2 割程度のアラブ人市民が居住し,そのうち約8%をキリスト教徒が占めている。ユダヤ教徒やムスリムとは異なり,食の禁忌を持たない彼らは豚肉を食し,この地における豚肉生産・消費・流通をほぼ独占している。そのいっぽうで,豚肉食に嫌悪感を示すキリスト教徒もすくなくはない。聞き取り調査の内容からは,彼らの豚肉食嫌悪は比較的最近生じた傾向であることがわかる。そこにはムスリムやユダヤ教徒の価値観の影響もみられるが,もっとも大きな影響をおよぼしたのはイスラエルによるアラブ人市民に対する政策である。本来豚肉食は,キリスト教徒の主たる生業である農業と密接にかかわっていたが,軍政による農業の衰退や,豚肉食と密接にかかわっていた野豚猟の事実上の非合法化により,キリスト教徒の豚肉食観は大きく変化した。宗教的アイデンティティの根幹に深いかかわりを持っていた豚肉食への嫌悪感の増大は,キリスト教徒としての宗教的アイデンティティの損失をあらわしているといえる。
著者
伊東 一郎
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.6, no.4, pp.767-796, 1982-03-30
著者
関 剣平 Jinping Guan
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.283-314, 2002-11-20

中国茶史上,陸羽の『茶経』があまりにも重要な文献であるため,宋代以降の茶史は唐代の陸羽をもって茶の始源として叙述する傾向が強く,その前代の魏晋南北朝時代への注目が少なかった。しかし,『茶経』が説くように魏晋南北朝時代は喫茶風習の成立期として非常に重要である。そこで同時代の史料を精査し,「風流」と「倹」の思想を軸に喫茶文化の動向を考え,さらに同時代の各社会階層における喫茶風習の受容の状況を明らかにした。あわせて『茶経』の記事を再検討し,史料批判を行った。
著者
伊東 一郎 Ichiro Ito
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.6, no.4, pp.767-796, 1982-03-30

This article presents a comparative-historical analysis of thewerewolf belief among the Slavic peoples. It concludes by advancingthe following hypothesis: that among the Slays there existed aritual transformation into wolves by the young warriors society andthat from the 10th century, after this ritual had disappeared, it wasrecalled via folkloric and ethnographic motifs, viz: (1) the werewolfbelief connected with the cult of magician and spread chiefly amongthe Western and Eastern Slays; (2) the folkloric motif of the"Shepherd of Wolves" occurred mainly among the Southern Slays;and (3) disguising as wolves by groups of young people during theWinter Ritual, which was a characteristic chiefly of the SouthernSlavs.
著者
Junko Konishi 小西 潤子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.99-130, 2021-07-30

「山口修写真コレクション」は,山口修(1939–)が 1960 年代半ばから 1990年代にアジア・太平洋各地で収集した 5,000 点以上の写真資料からなる。これらの理解を深めるために,民族音楽学の歴史を遡ることで山口の学問的関心を突き詰める。すなわち,20 世紀前後の欧州における近代科学に基づいた比較音楽学,戦前日本における東洋音楽の歴史と理論を扱った東洋音楽研究,1950年代から米国で文化相対主義の影響によって開花した行動学的民族音楽学である。これらを基盤に,山口は民族音楽学の理論と実践を国内外に発信し,「応用音楽学」として集大成した。その中で楽器学の骨子は,(1)エティック/イーミックスなアプローチ,(2)楽器づくりのわざ,(3)楽器の素材,とされる。次に,これらの観点から 1970 年代沖縄・奄美における楽器の写真について,当該文化の担い手による解釈を交えて論じる。対話の積み重ねによる持続的なデータベースづくりは,まさに山口が目指した未来志向性の応用音楽学的実践だといえる。
著者
Yuko Iwase 岩瀬 裕子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.179-231, 2019-07-25

本稿は,スペイン・カタルーニャ州の祭りで220 年以上にわたって行われている人間の塔における計測を主題にして,どのようなデジタル・テクノロジーが用いられ,それに対して人びとがいかに対応しているのかを民族誌的調査を通して明らかにするものである。人間の塔は,人が人の肩の上に上り下りして造られ,その高さや構造の複雑さで競われるものである。筆者が調査する最古参のグループでは,塔造りに必要な参加者を把握するためにテクノロジーを利用する動きはあるが,人間を正確に測り塔の構造に反映させるためにテクノロジーは利用していない。人びとが用いるのは,経験的に獲得,定着させてきた主として身体感覚に依拠したテクノロジーである。こうしてデジタル・テクノロジーの受け入れに伴う領域に差異がみられる背景には,身体ひとつで塔を造る人びとの「人間とは正確には測れないもの」という直観的な感覚と,「測ること」で失われてしまうことを危惧する二者関係があることを考察する。
著者
三尾 稔 福内 千絵 木下 彰子 中谷 純江 Minoru Mio Chie Fukuuchi Akiko Kinoshita Sumie Nakatani
出版者
国立民族学博物館
巻号頁・発行日
2011-09-22

会期・会場: 2011年9月22日-11月29日 国立民族学博物館 編集 財団法人 千里文化財団