著者
チョン ダハム 金子 祐樹
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.67-88, 2012-03-01

朝鮮初期の敬差官は従来、主に朝鮮王の命を受けて朝廷から地方の行政区域に派遣されたものと理解されてきたが、実際には女真や対馬へ長期にわたって派遣されていた。この事実は、韓国の歴史研究者の大多数が半世紀にもわたって述べてきた「交隣」という枠組みの根本的問題点を我々に示している。「交隣」の枠組とは大いに異なり、朝鮮は非常にダイナミックな手法により「小中華」という自身のアイデンティティを想像していた。当時の東北アジアの情勢下で朝鮮は、太祖李成桂がもたらした女真族と対馬島に対する勝利を歴史編纂の過程で儒教的名分論によって粉飾し、両者に対する「上国」としての地位を公式化する作業を進めていった。明が朝鮮を藩国と位置づけたように、朝鮮もまた彼らを朝鮮の藩籬・藩屏と規定したのである。敬差官とはこうした歴史的な文脈を受け、明が藩屏(朝鮮)に派遣する欽差官の制度を借用しつつ、これを一段低める修辞的技巧によって登場したものであった。これにより朝鮮は、女真族と対馬島への優位を確認しつつ、同時に明の臣下たる者として私かに他の勢力と交流してはならないという明中心の東アジア秩序に逆らわない巧妙さを発揮することができた。朝鮮初期におけるこうした外交のあり方は、明中心の東アジア秩序を強調する「事大」や、外国勢力の侵略による近代化の失敗への被害意識から、朝鮮の女真と対馬への侵略を認めようとしない「交隣」という視座では説明しがたく、東アジアの辺境である女真・対馬・朝鮮の間における地域秩序と関係性形成の脈絡を、リアルに伝えてくれる。原著:チョン ダハム翻訳:金子祐樹