著者
ナンニーニ アルダ ビオンディ マルコ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.61, pp.237-270, 2011-10-15

本稿で紹介するのはGiscel(Gruppo di intervento e studio nel campo dell'educazione linguistica、www.giscel.org) Giapponeのメンバーによって作成された日本人学習者を対象とした「初心者のためのシラバス」である。Giscelはイタリア言語学学会(Societa di Linguistica Italiana:SLI)の一部として、イタリア語教育研究を進めるグループである。日本のグループは2005年より存在している。当然のことながら、イタリア語は日本のコミュニティの言語ではない、「外国語(伊:lingua straniera,LS)と呼ばれるものである。ある言語を使うコミュニティ内で学ぶ言語は「第2外国語」(伊:lingua seconda,L2)と呼ばれる。学ぶ環境が異なると、ある程度異なったシラバスが必要となる。そこで、Giscel Giapponeのメンバーは日本の環境に合ったシラバスの研究を行なっている。まだ初期段階に過ぎないが、日本でのこのようなアプローチは初めてのため、イタリア語教育の関係者に紹介することを目的として執筆した。様々な意味を持つ「シラバス」(sillabo)は、イタリア語教育の文献では専門用語としてカリキュラム(curriculum)の一部をなし、「知識や能力の観点から(必要とされ、)教える内容の選択とその順序を整えたものを表す(Ciliberti 1994:100,il sillabo e"quella parte dell'attivita curricolare che si riferisce alla specificazione e alla sequenziazione dei contenuti di insegnamento fatta in termini di conoscenze e/o capacita")。つまり、「講義要綱」でも、「教科書」でもない。それらはシラバスの次の段階のものであり、curriculumの発展段階に位置する。Giscel Giapponeのsillabは2つの基本的な文献を出発点にしている。まずは、L2/LSに必要な知識や能力を特定するためにQuadro comune europeo di riferimento(QCER,ingl.CEFR)を基にしている。特にこのsillaboが目的としているのはQCERのレベルA1とレベルA2の一部である(cf.http://www.lanuovaitalia.it/profilo_lingua_italiana/sei-livelli.html, 2011年1月)。次にLo Duca,Sillabo di italiano L2,Roma 2006を参考にしているが、次の2つの点でLo Ducaから離れている。その違いこそがGiscel Giapponeのシラバス研究のオリジナリティをなしている。一つは文化的な内容と能力を明確にする点である。Lo Ducaは、ヨーロッパのErasmusプログラムで留学する大学生を対象としているため、文化的な内容は、イタリアで滞在することによって学ぶことができるものとし、シラバスでは扱わないことにしている。それに対し、Giscel Giapponeのsillaboでは、日本で学ぶ学習者を対象にしているため、いかなる文化的な内容でも教えるべきものとして考慮しており、日本文化とイタリア文化の似た部分と似てない部分を明確化し、誤解を招かない正しい知識を与えるにふさわしいものとなっている。もう一つは学習者が既に持っている言語的・社会文化的知識(conoscenze pregresse linguistiche e socioculturali)を系統的に考慮する点である。最近の言語習得研究においても、母国語が学習者の使う一つのストラテジーとして重要視され始めている(cf.Chini 2005)。筆者の考えでは、言語だけでなく、その文化にもアプローチするならば、学習者は母国語と文化(lingua e cultura materna:略:L1/C1)に対する「既存の知識と経験」を懸け橋として、「新しい言語と文化(lingua e cultura seconda:L2/C2 o straniera:LS/CS)との間に様々な形の関係を作ることで、新しい知識を得ることができる(cf.Nannini 2002,2005,2009a)。実際、De Mauro-Ferreri(2005)が、こうした既知の知識や経験をlinguistica educativa(教育的言語学)研究の一部として認めているのも偶然ではない。というのも、De Mauro-Ferreriは"l'incremento del patrimonio linguistico gia in possesso di chi apprende"(学習者が既に持っている言語財産の増進化)を出発点としているからである。このsillaboは言語の全てのレベルを考慮することで、《宣言的知識conoscenze dichiarative「〜を知る」》と《手続き的知識conoscenze procedurali「〜を使うことができる、ノウ・ハウがある》の齟齬を乗り越えることを試みている。学習者が練習問題を解く段階では、「できる」ように見られてしまうことがよくあるが、現実には、「習った」とされる同じ要素を自律的に使うことができない(一例を挙げれば、冠詞の意味、使い分けなど、cf.Nannini 2007b)。どのコミュニケーション・タスクにも言語的な形が必要とされ、その中には社会的・文化的・語用論的な要素だけでなく、語形論的・統語論的な要素も含まれる。こうした要素は相互に補い合って、言語能力の発展に寄与するものである。その結果、このアプローチの中心になるのは語彙となる(cf.Ferreri 2005)。Bettoni(2001:77)が断言するように、「ある単語を学ぶということはその単語の文法を学ぶということだ("imparare la parola significa impararne la grammatica")からである。換言すれば、単語の中に表れる「文法」に注意を向け、それをコミュニケーションの一部として考えない限り、「文法」を正しく理解して学ぶことはできないということである。このように、sillaboでは、そこで扱われるコミュニケーション・タスクをそれぞれ以下の観点から順番に分析を加えている。1)基本的な言語表現2)語彙3)社会・語用論4)音声・音素学;プロゾディ(イントネーションなど)5)意味・統語論的なカテゴリー(例:冠詞の意味的な範囲と使い分け)6)文化的諸要素7)形態・統語論とメタ言語の自覚 また、初心者に必要とされたコミュニケーション・タスクは下記の通りである。挨拶。自己紹介と他人の紹介。自分と相手の家族について話す。情報の尋ね方と与え方。バールやレストラン、ホテル、店でのやりとり。体調や気分・感情の基本的な表現。自己や他者に関する身体や性格の簡単な描写。銀行員との簡単なやりとり。
著者
ナンニーニ アルダ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.57, pp.20-47, 2007-10-20

本稿は、イタリア語における定性概念の習得の難しさとそのプロセスに関して、初心者から上級者に至る日本人学習者のinterlanguageによって示されたデータを数量的・質的に分析しながら、検討し、分類することを目的としたフィールド・ワークを基礎としている。Giacalone Ramatなどを始めとする近年の多くの学者たちによって示されてきた第二言語習得研究のデータは、いかなる母語の学習者もinterlanguageの発達段階において似たような状況を呈することを明かしている。しかしながら、部分的には習得は、母語からの《転移transfer》が実行されることを、いずれにせよ、示しているように思われる。L2(lingua seconda)とは、その言語を母国語としているコミュニティの中で勉強し、かつ(もしくは)、自然に習得した第2言語(ここではイタリアで習ったイタリア語)の意味である。一方、今まで行われてきた研究ではもっぱらL2としてのイタリア語がテーマになっているが、母語の参照(母語からの転移transfer)という戦略がL2に当てはまるならば、LS(《lingua straniera、外国語》:その言語がコミュニティの母国語ではない場合を指し、ここでは日本で習ったイタリア語)においては、それ以上に時宜を得たものになるであろう。長い間そして様々な機会ですでに私たちの考察の対象となってきたこのテーマに取り組むために、本稿では、対照言語学的なアプローチが採用されている。すなわち、特定の場合において、イタリア語の定性(またはその欠如)が形態論的に有標であるのに対して、日本語は《主題優勢topic prominent》言語であるため、定性の大半が、対話者たちの文脈と共通の知識に委ねられているということが示される。こうした分析の結果を基にして、イタリア語教育の分野で実証された幾つかの提案が紹介される。これらの提案は、生徒たちにおけるイタリア語の定性概念の理解を促進することができると思われる。すなわち、イタリア人のためのイタリア語の記述をそのまま繰り返すのではなく、日本人にとって解りやすい定性概念の紹介を提案している。この種の活動は、もちろん、改良することも発展させることもできるし、その母語にできるだけ近い規準を利用することによって、学習者の母語には存在しない範疇を理解する一助になると考えられる。