- 著者
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西田 かほる
ニシダ カオル
- 雑誌
- 静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture Bulletin
- 巻号頁・発行日
- vol.21, pp.243-258, 2021-03-31
遠江国敷知郡入野村の龍雲寺は、後二条天皇の孫康仁親王を開基とする。康仁親王の子孫である木寺宮は戦国期に入野村に居住し、戦国大名武田家に味方して徳川家と戦かったが、家康から龍雲寺を安堵されたという由緒をもつ。ただし、その後木寺宮は断絶し、龍雲寺も住職がいない状況が続いたため、江戸時代の前期には木寺宮の実態は分からなくなっていた。その様な中で、地誌の作成や幕府の古文書調査、明治期の陵墓調査などを通じて木寺宮の由緒が形成されていった。近世社会の中で木寺宮はどのように理解され、位置づけられたのかについて、主に龍雲寺に残された史料を紹介しつつ考える。