著者
伊豆 裕一 加藤 裕治 林 在圭 イズ ユウイチ カトウ ユウジ イム ゼエギュ Yuichi IZU Yuji KATO Jaegyu Lim
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.15, pp.73-84, 2015-03-31

1955 年、東京芝浦電気より発売された自動式電気釜は、米と水を入れてスイッチを入れればおいしいご飯が炊けるという、今では当たり前となったことを実現した夢の商品であった。日本国内で急速に普及率を伸ばした電気釜は、その後、アジアの各国に輸出され、米食を簡単で身近なものとした。本稿では、まず、我が国における、電気釜の普及と生活文化の関係を、デザインと広告の変遷を見ることで考察する。つぎに、同じく米を主食とする韓国における電気釜のデザインの変遷との比較を行うことで、地域の食文化と家電製品の関係について論じる。
著者
西田 かほる ニシダ カオル Kaoru NISHIDA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.16, pp.43-54, 2016-03-31

江戸時代、甲斐国巨摩郡小笠原村(現山梨県南アルプス市)には、吉田出羽という陰陽師がいた。出羽は宝暦四年(一七五四)に陰陽道の本所である公家の土御門家から、巨摩一郡の小頭役と一国の惣押役に任じられた。この出羽が明和六年(一七六九)に居村の長百姓藤右衛門を相手取る訴訟を起こした。きっかけは出羽の下作地における小作金の滞納問題であったが、出羽、藤右衛門、村方百姓、陰陽師仲間らの主張を検討するなかで、上下帯刀の着用といった陰陽師としての身分のあり方や、村方と陰陽師との関係、出羽の小頭としての役割などについて考察した。
著者
村中 洋介 ムラナカ ヨウスケ
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture Bulletin
巻号頁・発行日
vol.21, pp.33-40, 2021-03-31

2020年4月に,香川県は子供のゲーム時間などを制限することを内容に含む条例を施行した。その背景には,「ゲーム障害」を病気として位置づけ,ゲーム依存症対策を行うべきだとする動きがある。ゲームやインターネットをすること,スマートフォンの利用などは本来人々にとって自由とされるものであるはずで,それを制限することは憲法上問題があるともいえる。香川県条例はそうした自由を制限する内容を含むもので,憲法上このような条例制定が認められるか疑問が残る。そのような中で施行された香川県の条例について,他の人権を制約する可能性のある条例との比較を通じて,香川県条例の憲法適合性について検討する。
著者
西田 かほる ニシダ カオル
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture Bulletin
巻号頁・発行日
vol.21, pp.243-258, 2021-03-31

遠江国敷知郡入野村の龍雲寺は、後二条天皇の孫康仁親王を開基とする。康仁親王の子孫である木寺宮は戦国期に入野村に居住し、戦国大名武田家に味方して徳川家と戦かったが、家康から龍雲寺を安堵されたという由緒をもつ。ただし、その後木寺宮は断絶し、龍雲寺も住職がいない状況が続いたため、江戸時代の前期には木寺宮の実態は分からなくなっていた。その様な中で、地誌の作成や幕府の古文書調査、明治期の陵墓調査などを通じて木寺宮の由緒が形成されていった。近世社会の中で木寺宮はどのように理解され、位置づけられたのかについて、主に龍雲寺に残された史料を紹介しつつ考える。
著者
孫 江 ソン コウ Jiang SUN
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.11, pp.43-50, 2011-03-31

本稿では、近代知の生産と流通という角度からヨーロッパの中国文明西来説について考察する。 一八八〇年代から一八九〇年代にかけて、ラクーペリは一連の研究のなかで、黄帝は両河流域のバビロンから移住してきたのであり、ゆえに中国人(漢人)の祖先はバビロンのカルデア人であった、という仮説を提出した。ラクーペリは、ビクトリア時代のイギリス経験主義の学問的潮流のなかで注目されたアッシリア学研究から多くのヒントを得た。彼は中国語とカルデア語を比較し、文献と出土品をつき合わせて両者の共通点を見いだすという自らの方法を「言語科学」、「歴史科学」と見なしていた、その研究は当時のヨーロッパ一流の東洋学者から批判を受けた。 しかし、ラクーペリの「西来説」は明治期日本に伝わった後、日本の中国研究者たちの間で大きく注目された。反対派桑原隲藏と擁護派三宅米吉、白鳥庫吉の意見対立は、成立したばかりの日本の東洋学がヨーロッパの東洋学に出会った際に遭遇した一つの問題を照らし出している。白河次郎・国府種徳がラクーペリの「西来説」をその著『支那文明史』(一九〇〇年出版)のなかに取り入れたことは、後に「西来説」が中国で受容される直接的なきっかけとなった。 一九〇三年、『支那文明史』の四種の中国語訳は東京と上海でほぼ同時に刊行された。清朝打倒を目指す革命者や「国粋派」は、政治的目標の実現や漢族アイデンティティの確立という観点から「西来説」に関心を寄せた。しかし、その一方で、「西来説」が逆に漢族の外来性を際だたせてしまい、排満革命の政治目標に合致しないことに気づくと、彼らは躊躇なくそれを捨てた。 近代中国のナショナリズムに関するこれまでの研究は、ほとんどの場合、近代中国のナショナリズムを直線的な歴史叙述のなかに組み入れており、そのため、異なるテクスト同This paper provides background information on the TOEFL, TOEIC, and TOEIC Bridge tests and their roles in Japan.Explanations of the tests are followed by an example of TOEIC Bridge test implementation at Shizuoka Universityof Art and Culture (SUAC) for English course streaming. Test data was used to sort students into introductory andupper-level English reading and writing courses. After an analysis of the data, a description is given on the cooperativeeffort by full- and part-time instructors at SUAC to implement common TOEIC homework and extra credit assignmentsto improve TOEIC scores. Details of the online system used to support this program are also provided. Student datareported from the SUAC TOEIC Institutional Testing Program (ITP) reflects the program's progress. To conclude thisstudy on the implementation of the TOEIC Bridge test at SUAC, course streaming and the online TOEIC program andsystem, survey data from SUAC's introductory reading and writing courses is presented. Students enrolled in readingand writing courses in the Department of International Culture were surveyed; results were analyzed along with TOEICBridge scores to provide English instructors with insights into better ways to support the needs of language learners.
著者
磯村 克郎 谷川 真美 根本 敏行
出版者
静岡文化芸術大学
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin (ISSN:13464744)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.139-146, 2015-03-31

Projectability〜この街でおきていることはどうしておもしろいのか?〜と題された展覧会を浜松市のまちなかで開催し、144頁の同題の冊子を制作した(2014年3月)。 浜松市内では、市民の自主的な活動による様々なプロジェクトがみられる。それらは、まちづくりに通じたり、ものづくりをおこなったり、ひとを育てたり、種々雑多である。筆者たちは地域のNPOと協同して、14プロジェクトを調査、その内5プロジェクトと恊働した。活動の現場では、主催者の思いや社会的な意義を認めることができた。展覧会は、その姿をアートワークで表現し、市民や社会に還元しようとする試みである。冊子には、活動の様相をビジュアルとテキストで記録している。本稿は、その調査、活動参加、編集、制作の経緯を報告するものである。An exhibition entitled Projectability - Why are projects in this city interesting? - was held in downtown of Hamamatsu City, and the booklet of the same title of 144 pages was produced . (March 2014) In Hamamatsu city, a variety of projects by the voluntary activities of citizens can be seen. They are miscellaneous including community development, manufacturing, and human resource development. In cooperation with the NPO in the region, we investigate the 14 projects and participate 5 projects of them. In the field of any project, we were able to recognize the thought of the organizer and the social significance. We tried to transfer native projects to society and citizens through the artwork in this exhibition. The booklet, we recorded the appearance of the projects. In this paper, we report the circumstances the investigation, activity participation, editing, and production.
著者
林 在圭 イム ゼエギュ Jaegyu Lim
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.11, pp.17-30, 2011-03-31

韓国の伝統的な食生活は医食同源の考え方に基づき、日常の食事は主食と副食から構成されている。そのため、野菜を中心とする多様な副食から均衡のとれた栄養素を取り込むことが可能である。 そこで本稿では、韓国農村の一村落を対象として日常の食事記録をとり、日常食の特徴と基本パターンを検証する。「飯バンサン床」と呼ばれる日常の食事は固有のルールをもっており、基本飲食を除くおかずの数によって格式化されている。 しかし実際に調査してみると、調査対象村落における日常食の基本パターンは主食1に副食4の5品であった。最も質素な「三サムチョップバンサン楪飯床」の7品に比べ、当該村落は2品が少ない結果となった。また日常食の特徴としては今日でも主食と副食とが明確に区別されており、食材と調理法の重複を避けて、栄養バランスがとれるように工夫されている。したがって、韓国の村落社会における医食同源の考え方は、依然として強く受け継がれていることが確認できる。しかし近年、幼児を含む世帯を中心に外食行動も増え、肉食化の傾向がみられる。Based on the concept of the importance of food in health, Korea's traditional food lifestyle has everyday food comprised of a staple andsupplementary foods. This enables them to obtain balanced nutritional elements from diverse supplementary foods, especially vegetables.Thus in this paper, we take daily food records in one village in rural Korea, and investigate the characteristics and basic pattern ofeveryday foods. Based on characteristic rules, everyday foods called "bansang" have their status raised by the number of side dishesapart from basic food and drink. According to our specific fieldwork survey, the basic pattern of everyday foods in the village surveyed is one staple food with four or fivesupplementary dishes. Compared to the seven dishes of a very modest "samcheob-bansang" meal, the survey showed this village hastwo dishes less. Also, a characteristic of everyday foods is that even today they are clearly divided into staple and supplementary foods,and they avoid overlapping ingredients and cooking methods, working to obtain nutritional balance. We thus confirmed that the concept ofthe importance of food in health is still a strong tradition in Korea's rural society. However, in recent years, especially households includingchildren are increasingly eating out, and we see a trend towards meat in the diet.
著者
徳増 克己 トクマス カツミ Katsumi TOKUMASU
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.10, pp.179-188, 2010-03-31

以下に紹介するのは、20世紀前半のアゼルバイジャンを代表する民族運動の指導者マンメド・アミン・ラスルザーデ(1884-1955)の晩年の著作『あるトルコ民族主義者のスターリンと革命の回想』の冒頭部分の翻訳である。この回顧録は、もともと1954年にトルコの新聞《デュンヤ》紙に連載された。著者ラスルザーデは、20世紀の初めからロシア帝国内の産業都市バクーで政治活動に入り、その中で労働運動の組織化に携わっていたボリシェヴィキの活動家スターリンとも接触をもつようになった。彼はアゼルバイジャンのみならず、イランやオスマン帝国(とトルコ共和国)、さらにはヨーロッパでも幅広い活動に従事したが、今回はまず、スターリンとの出会いにいたるまでを扱った、回顧録の冒頭部分を訳出した。
著者
林 左和子 ハヤシ サワコ Sawako HAYASHI
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.16, pp.71-78, 2016-03-31

「布の絵本」は「絵本」+「遊具or 教具」であるといわれる。図書館資料としての「布の絵本」を考えた時、必要な要素は何であるかを、「絵本」としての要素と「遊具or教具」としての要素にわけて考えた。 「絵本」を考えた時、市販されている絵本は様々な人がかかわって生み出されたものであることが重要な要素の一つであると考えた。図書館員は、製作者と利用者をつなぐ、編集者としての役割を果たすことができる。そのためには、それぞれの利用者の反応を知り、さらに図書館間での情報共有にも努める必要がある。それによって、「布の絵本」をさらに発展させることができると考える。 "Clothe picture book" is "picture book" and toy (or teaching material) for children with disabilities. I discuss a requirement of a "clothe picture book "for library materials. As one of the elememts of picture book is product of collaboration. It is able to play a role of editor for librarian. Then librarian make an effort to watch a reaction of user. I think that cumulated knowledge of librarian is support to development "clothe picture book".
著者
西田 かほる ニシダ カオル Kaoru NISHIDA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.16, pp.43-54, 2016-03-31

江戸時代、甲斐国巨摩郡小笠原村(現山梨県南アルプス市)には、吉田出羽という陰陽師がいた。出羽は宝暦四年(一七五四)に陰陽道の本所である公家の土御門家から、巨摩一郡の小頭役と一国の惣押役に任じられた。この出羽が明和六年(一七六九)に居村の長百姓藤右衛門を相手取る訴訟を起こした。きっかけは出羽の下作地における小作金の滞納問題であったが、出羽、藤右衛門、村方百姓、陰陽師仲間らの主張を検討するなかで、上下帯刀の着用といった陰陽師としての身分のあり方や、村方と陰陽師との関係、出羽の小頭としての役割などについて考察した。
著者
勝浦 範子 福岡 欣治 カツウラ ノリコ フクオカ ヨシハル Noriko Katsuura Yoshiharu Fukuoka
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.9, pp.65-72, 2009-03-31

本研究は市街地における子どものレクリエーション施設が子育て支援センターとしてどのような機能を果たすかについて調べることを目的とし、2003年の2月、3月に「浜松こども館」の来館者ならびに館まで2km以内にある幼稚園・保育園に通園する園児をもつ近隣在住者を対象に質問紙調査を実施した。いずれの調査対象者も末子が8歳以下であることを条件とした。調査対象者は以下の尺度により、分類、分析された。第一は館利用に関するもの、例えば利用頻度、目的、所要時間などである。第二は調査対象者及びその末子の日常生活に関するもの、例えば児童公園、ショッピングセンター、図書館などの利用頻度などである。第三は調査対象者が子育てに対して受けている物理的、心理的な支援のレベルである。第四は調査対象者の不安のレベルである。近隣在住者で利用の多い群は少ない群(または利用無し群)に比べ、より活動的で社会性があり、子育て支援にも恵まれていた。また、来館者の平均所要時間は30分を超えているが、遠くからの来館者は子育て不安のレベルが比較的高かった。立地の利便性と多機能性が利用に結びついていると考えられる。The purpose of this study was to identify the function of an urban facility for children's recreation as a center for child-rearing support. The study was conducted between February and March, 2003. We analyzed questionnaires given to two groups of parents: the first was visitors of the plaza, and the second was local parents whose children attended nurseries within 2 km of the plaza (of which some visited the plaza, and others did not). Each subject had a youngest child who was eight years old or younger. Subjects were analyzed and classified based on the following criteria. The first concerned the plaza: frequency of visits, purposes of visits, travel time, etc. Another concerned lifestyle of the subjects and their youngest children: frequency of visits to playgrounds, shopping malls, libraries, etc. Third was the level of physical and psycho-logical assistance subjects received for child-rearing. Fourth was the subjects' anxiety levels. We discovered that frequent visitors of the plaza were more active, social, and had more support in child-rearing than infrequent (or non-) visitors. Visitors found it a good location, and expected it to serve various functions. Also, the average visitor traveled over 30 minutes one way, and many parents who traveled long distances showed relatively high anxiety levels.
著者
黒田 宏治 阿蘇 裕矢 クロダ コウジ アソ ユウヤ Kohji KURODA Yuya ASO
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.15, pp.147-152, 2015-03-31

本稿は、浜松の民芸運動の昭和初期から近年に至る経緯について、郷土史家、民芸協会関係者へのインタビュー調査の結果をとりまとめたものである。浜松の民芸運動の現代的評価に向けて、引き続き研究調査を進めたい。
著者
鈴木 元子 スズキ モトコ Motoko SUZUKI
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.5, pp.31-39, 2005-03-31

エチオピア北部の山奥に独自のユダヤ教を遵守しながら、数千年間にわたって、自らを地球最後のユダヤ人と信じて暮らしてきた「ファラシャ」と呼ばれる黒人ユダヤ教徒たちがいた。 1991年5月、メンギスツ・ハイレ・マリアムの独裁主義政権が崩壊する直前、1万4千人のエチオピア・ユダヤ人をたった25時間で、(35機の飛行機が41回飛行)、イスラエルに空輸する、という大脱出が行われた。「ソロモン作戦」と名づけられたこの大規模かつ短期間の内に実施された帰還(アリヤー)は、いったい誰が交渉をすすめ、またどのように準備され、実行に移されていったのか。これまで「奇跡」という一言ですまされてきたこの歴史的偉業の詳細について研究した。
著者
石川 清子 イシカワ キヨコ Kiyoko ISHIKAWA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-10, 2010-03-31

ウジェーヌ・ドラクロワ『アルジェの女たち』(1834)は、オリエントのハーレムの女性を画材にしたオダリスク絵画の代表的名画であり、以降のオリエンタリズム絵画、裸婦像に多大な影響を及ぼした。しかし、1830年のフランスのアルジェ占領があってこそ、画家はハーレム内部に入ることができ、ゆえにこの絵を描くことができた。フランスのアルジェリアに対する植民地支配の産物とも言える。また名画として鑑賞されてきたこの絵を、アルジェリア自身のフランス語表現女性作家はどのような視点で見て、どのように自己の作品に反映させ、自らのアイデンティティを構築していくか。アシア・ジェバール、レイラ・セバール、二人の作家の作品を具体的に検証していく。この論考はその前半部で、ジェバール『アルジェの女たち』(1980)の後記と表題作中編を扱う。
著者
黒田 宏治 阿蘇 裕矢 クロダ コウジ アソ ユウヤ Kohji KURODA Yuya ASO
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.13, pp.149-152, 2013-03-31

浜松の民芸運動は、浜松の新たな文化やデザインのアイデンティティとなる可能性がある。本稿では、浜松の民芸運動について、郷土史家へのインタビューと地元資料に基づく概略年表整理を行った。浜松の民芸運動の現代的評価に向けて、引き続き研究調査を行っていきたい。
著者
石川 清子 イシカワ キヨコ Kiyoko ISHIKAWA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-8, 2016-03-31

映画監督、作家、政治家として幅広い分野で活動しているヤミナ・ベンギギはアルジェリア人の両親をもつフランス生まれ、いわゆるマグレブ系移民第二世代の表現者である。戦後フランス経済を労働力として支えた両親の世代、つまりイスラーム圏の旧植民地出身者のフランスにおける歴史はこれまで殆ど語られることがなかった。ベンギギの『移民の記憶』(1997)は、戦後マグレブ移民の歴史を当事者の証言を中心に総合的に集約した記念碑的作品だが、『イスラームの女たち』(1994)と『インシャーアッラー、日曜日』(2001)を含めた三部作をとおして、とりわけ表に出ることのなかった第一世代の女性たち、つまりベンギギの母世代をていねいに描写、表象する。映像と同時にテキストも刊行されている三作品の女性像をとおして、ベンギギ自身の歴史と物語を探求する試みとなっている。
著者
四方田 雅史 ヨモダ マサフミ Masafumi YOMODA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.15, pp.45-56, 2015-03-31

「共産主義遺産」は中東欧において社会主義時代が残した文化財のことであるが、同時代には独裁やソ連の支配といった否定的なイメージ・感情がつきまとってきた。そのため、その「遺産」は、負の遺産か、そこまでいかなくとも論争的な遺産、両義的な遺産とみなされ、その保全・観光資源化について議論の対象となってきた。本論文では、それが伴うさまざまな課題とともに、それらが遺産化・観光資源化されている現状の背景について探る。具体的には、特にスターリン体制と不即不離にあるスターリン様式の集合住宅地区ポルバ(チェコ)などを主な例として、外国人観光客にとって異質な体験が可能な場としての視点があり、現地国民から見ると独裁時代の遺産と否定的に感じる一方で、土着文化を援用した装飾など、伝統との連続性に遺産の意義を見出す視点が登場していることを論じる。The "communist heritages" are defined as relics in Eastern Europe from the socialist period which are regarded to be preserved. But the period has been generally considered by Czech and Polish as that of dictatorship and Soviet compulsory rule, giving rise to their negative, or at least ambivalent, feelings. Therefore, whether communist heritages should be preserved or not remains ontroversial. This paper takes mainly Poruba which lies in the suburbs of Ostrava, Czech, as an example, and shows that foreign tourists have come to regard it as a tourist attraction, because it is a town of Staliniststyle mass housing where they can have experiences different from those in their native countries. In addition, the fact that socialist realism partially adopted indigenous culture has helped Czech look upon Poruba as a national heritage to be preserved.
著者
鈴木 元子 スズキ モトコ Motoko SUZUKI
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-8, 2009-03-31

本稿では、『夏の夜の夢』や五月祭、および広場での笑いのシーンにバフチンのカーニヴァル的な笑いの理論を援用して、アメリカの代表的作家サナニエル・ホーソーンの"My Kinsman, Major Molineux"を新たに読み解くことを試みた。主人公ロビンの名前の起源には、春を告げる小鳥(ロビン)のほかに、『夏の夜の夢』のパックことロビン・グッドフェローや、ロビン・フッド伝説のロビンが考えられ、作品の文学世界はアメリカからイギリスへ、新大陸から旧大陸、そして中世へと広がる。この短編のクライマックスである広場に行列が通るシーンは、『夏の夜の夢』の劇中劇に触発された「ペイジェント」として、「演劇的な仕掛け」がこの作品にあることを論じた。As, in The Country and the City, Raymond Williams, researcher of Cultural Studies defines, Hawthorne's "My Kinsman, Major Molineux" also embraces the contrast between country and city. In particular its hero Robin embodies the country such as of innocence and simple virtue, and comes to town for his ambition looking for help from his relative Major Molineux. Therefore, this masterpiece first appears to the reader to be a story of initiation, as the hero's name itself symbolizes a small bird which tells the coming of spring. Yet, gradually following Robin in the moonlight, who is loitering in the street on a summer night, we shall enter into Hawthorne's "neutral territory, somewhere between the real world and fairy-land, where the Actual and the Imaginary may meet…" (The Scarlet Letter, 36) Especially, in "My Kinsman," when we come across the following sentence "A heavy yawn preceded the appear-ance of a man, who, like the Moonshine of Pyramus and Thisbe, carried a lantern, needlessly aiding his sister luminary in the heavens," that reminds us of Shakespeare's A Midsummer Night's Dream. Nathaniel Hawthorne is known to have revered Shakespeare's works. He changed the spelling of his name from Hathorne to Hawthorne, named after a hawthorn bush (May flower) often touched upon in A Midsummer Night's Dream. This comedy of great renown has two main characters: Robin and Oberon. Curiously enough, beyond Robin, Hawthorne created characters named Oberon in his short stories: "The Devil in Manuscript" and "Fragments from the Journal of a Solitary Man;" the former is a writer who burns his rejected manuscripts. This episode is autobiographical and furthermore Hawthorne used to call himself Oberon in his letters to Horatio Bridge. In A Midsummer Night's Dream, Puck whose other name is Robin Goodfellow says "Thou speakest aright; I am that merry wanderer of the night. I jest to Oberon and make him smile." (Act 2: Sc 1) Hawthorne's Robin, too, is a wanderer of the night. When he notices aprocession approaching, he thinks it must be a "merry-making." The truth, however, seemed that it's a riot where his relative Major Molineux was taken to be hung. The big enigma here is whether it was a real disturbance or a dream Robin had after he dropped with fatigue. My idea is, it might be a stage-play or a Morris Dance by mummers in the evening like the May-game or a play within a play suggested by `Pyramus and Thisbe.' I propose this because Robin's laughter can be fully explained by Mikhail Bakhtin's theory about carnival folk culture; where there is the logic of the "inside out," and "the suspension of all hierarchical precedence." (Rabelais and His World, 10-11) Just as Bakhtin describes that "Carnival laughter is the laughter of all people" (11) and that the people's festive laughter is directed at those who laugh, Robin is an observer of the procession but at the same time he is observed by townspeople such as the gentleman and the lantern bearer. When Bakhtin mentions "we find both poles of transformation, the old and the new, the dying and the procreating" (24), we can assure the old is Major Molineux and the new is Robin. In consequence, Robin is playing a significant role of a clown to progress a plot and to make people laugh at the carnivalesque climax. This procession could be reflected by the historical riot in 1765, but another interpretation is that `Pyramus and Thisbe' incited Hawthorne to create pageantry in his short fiction as a public entertainment of mayings referring to Joseph Strutt's Sports and Pastimes of the People of England. The author of this theatrical device with a great spectacle can be called Oberon Hawthorne, and his jester is Robin.
著者
下楠 昌哉 シモクス マサヤ Masaya SHIMOKUSU
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.3, pp.23-31, 2003-03-31

本論では、ブラム・ストーカー(1847-1912)の初期の小説作品である『蛇峠』(1890)、『ドラキュラ』(1897)、『海の神秘』(1902)における風景描写と、登場人物たちが利用する交通機関との関係性を扱う。鉄道の登場とその速度、および一九世紀半ばのイギリス本土における鉄道網の確立と旅行の大衆化は、ヴィクトリア時代の人々の視覚に重大な変容をもたらし、風景を見る者から隔絶した次々と移り変わる「パノラマ」として捉える感覚を、人々に遍く実装させるに至った。ストーカーの三作品はどれも旅行者を主人公としており、それらの作品における風景描写は、風景とそれをまなさす者との間の断絶と、その断絶を生み出した列車の速度の影響をはっきりと表象している。テクノロジーの発展と人間の知覚の変容との関係性を記録したメディアとして、ストーカーの小説を読み込んでゆくこと。それが本論で試みられているプラクシスである。This paper deals with the relationships between scenery descriptions and means of transport in three early works of Bram Stoker (1847-1912): The Snake's Pass (1890), Dracula (1897) and The Mystery of the Sea (1902). The invention of the train and its high velocity caused a critical change of perception. The establishment of the British railroad system and the democratization of tourism in the middle of the 19th century then allowed the perception to prevail among Victorians. People came to perceive landscapes through the windows of trains as a string of swiftly-changing "panoramas," which the seeing subjects were completely dissociated from what they saw. All protagonists of the three novels of Stoker are travelers. The scenery descriptions in the stories represent the gap between the landscapes and the subjects viewing them. The speed of characters' movements are also deeply related to the gap. The critical praxis attempted in this paper is to read Stoker's novels closely as media recording the relationships between technological developments and the change of human perception in the 19th century.
著者
上山 典子 カミヤマ ノリコ Noriko KAMIYAMA
雑誌
静岡文化芸術大学研究紀要 = Shizuoka University of Art and Culture bulletin
巻号頁・発行日
vol.15, pp.57-66, 2015-03-31

フランツ・リスト(1811-86)が作成した数々の編曲のなかでも、リヒャルト・ヴァーグナー(1813-83)のほぼすべてのオペラ作品を網羅するピアノ2手用編曲は特別な位置づけにある。1849年に完成させた《タンホイザー序曲》以降、1882年の晩年に仕上げた《パルジファルより聖杯への厳かな行進》に至るまで、リストが手がけたヴァーグナー作品の編曲はほかのどの作曲家の劇場作品よりも多い合計15曲(+新改訂稿1曲)にのぼる。そこには極めて緻密な手法による《序曲》や《イゾルデの愛の死》、そしてヴォーカル・スコアとあまりに似通っているという理由からスコアの出版社に版権侵害を訴えられた《ヴァルトブルク城への客人の入場》(初稿)が含まれる。他方で、原曲の主題を借用したファンタジーシュテュック、《リエンツィの主題に基づく幻想曲》や、ヴァーグナーのモティーフを切り刻んだかのような《パルジファルより》もある。リストの編曲手法やスタイルは実に多様である。本論はリストが34年の年月にわたって取り組んだヴァーグナー・オペラの編曲を取り上げ、そのいくつかに対してリスト自身が言及した「トランスクリプション」、「アレンジメント」、「ピアノ・スコア」の名称に注目する。そしてそれぞれの概念を整理することで、これらの名称の下に括られる編曲型を導き出してゆく。その結果、編曲取り組みの時期によって、特定の型がある程度集中的に用いられていたことが見えてくるだろう。Among many which Franz Liszt (1811-86) transcribed for piano, operatic excerpts that cover almost every works of Richard Wagner (1813-83) occupy a special position. From Tannhäuser-Ouvertüre transcribed in 1849 to Feierlicher Marsch zum heiligen Gral aus Parsifal set in his later years of 1882, Liszt's lifelong involvement with transcribing Wagner's works amounts to 15 pieces (+ 1 radically rev. version), which are more than any other composers' theater works that Liszt handled. There are such pieces as Tannhauser-Ouverture and Isoldens Liebestod with incredibly elaborate techniques, or Einzug der Gäste auf Wartburg (first version) which follows the original quite well, so that the publisher of Wagner's Tannhäuser score almost sued Liszt's piano reduction for an infringement of copyright. On the other hand, there are such transcriptions as Phantasiestuck uber Motive aus Rienzi, a dramatic and excitingly creative fantasy on borrowed themes from the original, and peculiar, even bizarre Parsifal with chopped and distorted motives from Wagner's music. The techniques and styles of transcribing vary from piece to piece. This article deals with Liszt's transcribing of Wagner's opera which were taken up almost continuously over a period of several decades, and pays special attention to the terms, "Transcription," "Arrangement," and "Piano Score," all of which originate from Liszt himself. By examining each concept of them and suggesting three types of transcribing based on these terms, it would be evident that Liszt has used a certain type for a particular period of time.