著者
三浦 謙一 Miura Kenichi
出版者
国立大学法人岩手大学平泉文化研究センター
雑誌
岩手大学「平泉文化研究センター年報」 = Hiraizumi studies (ISSN:21877904)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.41-60, 2013

奈良国立文化財研究所は1998年に『発掘庭園資料』を刊行した。古墳時代の祭祀遺跡の一部を含め飛鳥時代から明治時代までの全国の発掘庭園273件をほぼ網羅したもので、日本庭園史における基礎資料となっている。同書には、「発掘調査によって発見された庭園遺構を『発掘庭園』と呼んでいる」とある。発掘庭園はその後も増加しており、独立行政法人奈良文化財研究所はホームページ上に発掘庭園データベースを公開し、『発掘庭園資料』刊行後に発見された発掘庭園等を追加登載している。 岩手県西磐井郡平泉町は12世紀に奥羽に権勢を誇った平泉藤原氏が拠点とした都市平泉の遺跡が現在の市街地と重なりながら数多く残されている。発掘庭園データベースに登載された平泉町所在の発掘庭園は10件で、それらには03001~03010のコード番号が付されている。志羅山遺跡庭園遺構(コード番号:03008)が12世紀よりも下がる以外は平泉藤原氏の時代、12世紀に属する。 平泉町における庭園調査の歴史は古い。1952年、文化財保護委員会によって無量光院跡が発掘調査され、『吾妻鏡』の記述のように宇治平等院を模していることが確認された。1954年からは、藤島亥治郎氏を中心とする平泉遺跡調査会は観自在王院跡と毛越寺の学術発掘調査を5か年にわたって行い、浄土庭園の実体に迫る成果をあげた。1972年度からは整備を目的にした発掘調査が観自在王院跡で実施され、舞鶴が池と呼ぶ園池を中心にした史跡公園として整備・活用されている。同様に、毛越寺庭園においても復元整備等を目的に1980年度から10か年をかけて発掘調査され、大泉が池の全面石敷の洲浜や中島の調査、背後の山から引かれた遣水の発見などの大きな成果をあげ、いま私たちの眼前に12世紀に構想された浄土世界を見せてくれる。 観自在王院跡と毛越寺の発掘調査に引き続いて、平泉遺跡調査会は1959年から10か年にわたって中尊寺境内の発掘調査を行い、境内の伝三重池跡と伝大池跡もその対象となった。大池はいわゆる『中尊寺建立供養願文』の記述に深く係わる重要な遺構であり、平泉町教育委員会は1997年度から7年間、また2007年度から現在まで内容確認発掘調査を継続している。さらに、無量光院跡は2002年度から内容確認を目的にした発掘調査が開始され、現在も継続されている。北小島やそれと本堂が建っていた西島を繋ぐ橋跡、導水溝が検出されるなど、多くの貴重な新知見が得られている。また、1980年代末には平泉藤原氏の政庁と目される柳之御所遺跡の中心域から園池が発見され、以降、町内の緊急発掘調査の増加に伴い平泉藤原氏の時代の園池の検出が相次ぎ、新たな資料が蓄積されてきている。 無量光院跡と観自在王院跡、毛越寺、中尊寺、それに金鶏山を加えた5カ所の資産は、2011年、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として世界遺産に登録された。岩手大学平泉文化研究センターは平泉の発掘庭園を研究テーマの一つとしている。本稿は、平泉の発掘庭園の発掘調査履歴を一覧で示すとともに園池に係る発掘調査成果の概略を紹介するものである。