著者
上野 秀治
出版者
皇學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本課題研究によって得られた研究成果のうち『岩倉公実記』の編纂過程は次の通りである。1.明治16年8月香川敬三に岩倉具視行状取調べが命ぜられると、香川は岩倉家職員山本復一に資料蒐集を依頼、写字生を使い、おそくも同年11月より蒐集作業を開始した。2.明治17年5月頃から城多董が加わり、18年6月頃より薄井竜之が加わるが、薄井は同年8月にはやめ、かわって多田好問が加わった。3.城多董は年語編集に集中したが、18年8月頃には岩倉具視絵伝(絵巻物)の作成にかかった。絵伝の絵は田中有英に描かせた。4.編纂費用は当初香川敬三が立替え、17年頃より21年3月までは内閣機密金から支出され、その後28年9月までは皇后の手元金から支出された。5.明治21〜22年頃から三条実万・実美父子の年譜作成が本格化し、山本復一・城多董がこれに関与することになった為、岩倉行状取調べは停滞しつつも、多田好問が中心になり、西尾為忠が加わった。6.26年末には岩倉行述編輯は多田が主筆となり、西尾は絵伝の詞書を担当、資料整理は沢渡広孝が行なっていて、具視の10年祭には間に合わなかった。7.30年前後は編纂が進まず、33年西尾の死去、35年沢渡の転出にあい、多田一人で執筆する状態になった。8.岩倉の20年祭(36年7月)を目標に編纂を急ぎ、多田が執筆した原稿を香川・原保太郎・薄井竜之とで校読会を開いて修正した。9.明治36年12月に『岩倉公実記』稿本を奉呈した。これらのことから、資料蒐集、年譜編集、伝記編纂と、歴史編纂に必要な手順を踏んでいることが明らかとなった。途中で絵伝作成が加わったが、これで明治40年代に湯川松堂が描いて完成した。当時、目で見てわかる歴史絵巻がわかりやすく、必要なものと認識されており、明治天皇もそれを要望した。三条実美の伝記も、年譜と絵伝を作成しているところから、当時の歴史編纂に絵伝の占める地位は大きかったと結論づけられる。
著者
上野 秀治
出版者
吉川弘文館
雑誌
日本歴史 (ISSN:03869164)
巻号頁・発行日
no.801, pp.85-87, 2015-02